老婆の弔い

大寒の雪

わたしの自坊のような貧しい骨山でも、だいたい年に数軒の檀家のお葬式があるものなのだが、昨年は見事というべき、たった一軒のご不幸もないまま終わった。
新年恒例の檀家総会でこのことを話して、今年一年も皆さんお元気でお過ごし下さいと話したのも束の間、その4日後に、ある檀家さん宅の老婆が享年94の大往生をとげられた。
別に悪いところもなく、いわゆる老衰である。
いかにも大寒、雪の中の弔いとなった。
さて、お葬式の仕方は、宗教諸派はもちろん、地方の土着風習の影響をかなり受けていると思う。
私の住むあたりでも、集落ごとに少しずつ違うほどだ。
例えば、「朝悔やみ」という風習がある。
集落の住人からのお悔やみの挨拶を、当家が玄関で受けるというものである。
それこそ、「朝悔やみ」というだけでも、読者各位には縁遠い風習なのかもしれない。これは葬式当日の朝7時ごろに、集落の一軒残らずすべての家から、誰か一人が必ずご当家に出かけ、お賽銭をあげて、ご霊前に合掌し、当家の遺族にお悔やみの挨拶をするのである。
おまけにこの時、私の集落に限っては、当家の主婦が喪服の着物姿で素足に草履をはいて、玄関の土間にずっと立ちっぱなしで悔やみを受けなければならないという風習もある。寒いときには格別きびしいことだとは思う。
それから、出棺の際には必ず玄関を出たら西に向いて棺を出す。東側に大きな通りがあっても、必ず西へ向かうのである。これは浄土信仰によるものだと容易に推測はできるが、禅宗の葬式でも同じである。こういった古くからの風習が、まだわずかながら残っているのは、とても喜ばしいことだと私は思っている。
今どき何を……と思われるむきもあるかもしれないが、都会では「家族葬」が流行ってきているなか、それに歯止めをかける意味も含めて、伝統文化の継承はなくしてはならないと思うのである。
そうして、大往生のお婆さんは、家族に送られて西へ旅だっていかれた。

達磨さんも雪に震える