St. Valentine’s Day

梅の蕾もほころびかけて…

研究所のブログにこのタイトルは無いだろう…と思われた方には、先にお詫びを申し上げます。
「そもそも、バレンタインデーってなに?」と、疑問に思い調べたのは何年前だろうか。
いろいろな説があるようだが、ヴァレンタインとはローマ帝国時代のキリスト教司祭で、その死についてはなかなか血なまぐさい歴史があり驚いたものである。
日本では、女性から男性への愛の告白。そして、現在では、お世話になっている方へ感謝の証として義理チョコをせっせと配り、チョコに目がない女子は、この日を狙って輸入されてくる普段は買えない海外のあらゆるブランドチョコを「ご褒美チョコ」として自分に買ったり、友達と交換したりする。
そしてホワイトデーなるものも、日本で生まれた習慣。 本来のバレンタインデーの意味は知らなくとも、海外の行事を自国独自のお祭にしてしまう、日本人の懐の広さには驚くばかりである。


家にはお仏壇も神棚もあり、そしてそういう家で育っても結婚式はチャペルにて…参列者も賛美歌を歌って…。「信じる宗教はありません」と言たって、やっぱり厄年はものすごく気になり、厄払いにはせっせとでかける。
神道と仏教、土着の信仰などが色々と交錯しているのには仕方ないにせよ、一貫性なんてものはなく、何でもありなのだろうか?!と思う自分がいたが、先日大学時代のゼミ担当教授との話の中で、宗教観も含めた、西洋諸国と日本の国民性の違いなるものを話していた時に、ドイツに留学していた教授が下記のような事を話していた。
ドイツでも、敬虔なキリスト教徒というのは減っていて、皆何かを求めていますよ。そういう人で、禅に傾倒する人もとても多くて、坐禅をしている人も多かったです。
また、家庭で特に信仰する宗教が無い場合は、結婚式は皆の前で永遠の愛を誓う「人前結婚式」が圧倒的に多いですねぇ…。そう思うと、日本人は色々な宗教がごっちゃまぜのように思いますが、まだまだ人前結婚式よりも、クリスチャンでなくとも教会での挙式が多いというのはおもしろい事で、何か、人以外の大いなる存在や頼れるものの前で誓いをたてなくてはいけないような、そんな潜在意識があるんじゃあないでしょうか…。
何となく、私の潔癖な堅い心がふとほぐれた気がした。なるほど。そう考えると、日本人は愛しい存在だ。最近は日本でも人前結婚式が増えているとは耳にするものの、私の友人でそのような結婚式を挙げた人は1人も無く、また、身近なところで聞いた事も無い。
八百万の神の国、和の国日本は、なんだかんだ言ってもやはり捨てたもんじゃない!と、いつも日本贔屓な私である。
とここまで書いておきながら、そういえば私も、思いきりキリスト教色濃い大学の出身者であり、独特の雰囲気と、暖かさの中で過ごせた大学時代に非常に感謝しており、矛盾をとやかく言う立場ではなかった…。