駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠

新富士駅附近からの富士山

「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」といわれる。
その富士のお山をみつつ、白隠禅師が開山の龍沢寺に、死活庵老師の津送に行った時のことである。
津送のことは先のブログに書いたが、この日、京都では雪が降っていたのに、この静岡では快晴。ご覧の通りの富士山の雪景色である。
上の写真は、新富士駅附近の新幹線の車内から撮影した。このあたり、製紙工場などの煙突が立ち並び、なかなかベストショットが撮影できないのだが、これはなかなかうまくいった。
右の方に大きくえぐれているところは、宝永4年(1707年)の大噴火の跡であるという。ちょうど白隠(1686-1769)がこの近くの原宿に生まれて少年のころのことである。
この白隠禅師の生涯を劇画にした『白隠和尚物語』(禅文化研究所)にも、そんなシーンが出てくる。

龍沢寺の裏山から見た富士山

龍沢寺には小高い裏山があり、そこに登って少し歩くと、新富士駅からみたのとは違う方向から富士山をながめることができる。宝永の大噴火の跡が手前に見えるのがわかると思う。
雲水時代、この裏山から富士山を見て、心が洗われるような気分になったことを思い出すと、同輩に言うと、みんなそうだったようである。
津送が終わって三島駅から京都へ向かう時、三島駅のホームから見た富士も美しかった。
今度は12月にある小祥忌(一周忌)に、この日本で一番美しい山を見ることになろうか。

三島駅から見た富士山