陶工に号をつける その1→こちらを読まれてから本日のブログをどうぞ!
わたしが、“岱嶺”という号をつけた青年陶工が、なぜ“岱玲”と改めたかといういきさつは、ザッとこんな話しである。
彼は、“岱嶺”という号を、さっそく、九州伊万里の師匠のもとへ報告した。そして、師匠からは許しをもらった。
しかし、周囲の弟子や関係者からクレームがついた。「師匠の号は“岱山”である。“岱嶺”は、字づらからして師匠を超えることになる。遠慮せよ」というのが、兄弟子たちの言い分であった。
言われてみれば、その通りである。“山”という字と、“嶺”という字に、上下はあるまいが、やはり、“嶺”の方が偉く見える。彼も、そう思った。しかし、“タイレイ”という響きは、気に入っている。そこで、“嶺”を“玲”に変えて、“タイレイ”という音は残した。そんな話しをわたしにしてから、青年陶工は、こう言った。
「“嶺”は僕で、“玲”は**ちゃんで、二人共通の号だと思っています」
**ちゃんは、彼の新妻である。彼女は、陶器の絵付けをする人で、夫の素地にも絵を付ける。よって、二人で一つの作品を仕上げることも多く、「“岱玲”は、二人のものなんです」と。それがまた、“玲”という字は、響きといい、字づらといい、いかにも初々しいその**ちゃんにピッタリなのである。わたしは、そんな話しを聞き終わり、「いい名前だね、まあ、二人で、頑張りなさい」と言うだけであった。二人があまりにも仲睦まじいので、しまいには、なんだかバカらしくなってきていたのである。
その**ちゃんも、今では二人の子育てに忙しく、“岱玲”は、青年陶工一人のものになっている。