わたしの山寺は、とても小さく、お葬式といえば、1年に2、3回しかない。
これは、わたしの個人的な習癖なのか、お葬式は、とても疲れてしまう。
まず、枕経(まくらぎょう)に出向き、お顔をおおっている布を取る。今さらながら、わが手が震えていることを感じる。そして、『涅槃略経』をお読みする。それが終わると、故人の髪に、カミソリを当てる。何年、坊主家業を続けても、その手は震えるのか、わたしには、わからない。そこに横たわっているのが、死人(しびと)とか、そんな感覚ではない。なにか、荘厳なものに触れるような感覚がある。
その枕経から帰ると、戒名を考え、引導法語を作る。故人と立ち向かわねばならない。
この戒名で、故人の全生涯をあらわすことができたのか?
この法語で、故人が、畢竟(ひっきょう)の悟りを得るのか?
無学無修のわたしは、最後に、その髪にカミソリを当てた者として、たたかわねばならない。
今度の死者は、八十九歳のお婆さんだった。無責任な第三者は、よく、大往生という言葉を使う。
「大往生で、おめでたいぐらいだ」などと言っている。
しかし、八十九年も生きれば、孫たちはとっくに大人で、曾孫も物心がつき初め、祖母と遊んだ思い出に、涙を流している。決して、おめでたいことではない。弔問には、この言葉は使ってはならない。
さて、我れながら力を尽くして、最後の竃(かま)まで送り届け、山寺に帰った。すると、寺下の小さな運動場で、村の子供たちが、野球ゴッコをして、大歓声で遊んでいた。
わたしは、その時、ふと感じたのだ。
これが、「不生不滅・不増不減」ということなのだと。そして、こんな屁理屈を考えた。八十九歳のお婆さんは死んだが、この子供たちは生まれて来た。いつかは、この子供たちも死に、また新しい子供たちが生まれて来る。
神や仏というものが、どんな高いところにおられるかは知らないが、高い高い天から見れば、この一箇一箇の命というものは、ちっぽけな点にさえも見えず、宇宙という大きな生命というものは、増えてもいなければ減ってもいない。生まれたということもなければ死んだということもないのだ。
しかし、そうであるからこそ、今を懸命に生きていかねばならないのだと。