昨今、うちのような田舎寺の檀家さんのお葬式でも、時折、葬祭ホールで行なわれることがある。
私は、故人に感謝報恩の意を表わすならば、できる限り自宅でのお葬式を勧めているのであるが、今はそれはおいておこう。
導師は葬儀の際に数度、自分の目前にある香炉に香をくべる。
私は自分の懐から持参した香合を取り出して、手持ちの沈香の1片をくべる。先日の「禅と文化の旅」で教えていただいたような香道の作法とはことなり、沈香を香炭に直接のせるので、一気に煙が立ち上ぼる。香道の人が見たら、なんと勿体ない……ということにあいなろうが、それはまたさておき。
葬儀が始まって、中盤に引導が終わると、参列者の焼香が始まる。ほとんど参列者はこの葬儀社の用意した抹香を香炉に押し頂いてくべる。長い列ができているのに、どこで習った作法か、3度も押し頂いてくべている人もいるようだ。
しかし、言っちゃ悪いが、この抹香、どんな成分が含まれているのだろうと思うことがある。この煙に咳き込むのである。
私は以前に喉の手術してから、煙に対してかなり神経質になっている。嫌な煙を吸い込むと、なにしろ咳き込んだり声が出なくなったりするのである。しかし、不思議なもので、きちんと作られたと思われる昔ながらの抹香には咳き込まず、葬祭ホールの抹香には咳き込み、葬儀の後に葬儀社が当家にくださる煙の出ないお線香にもテキメンに咳き込む。
もしこのブログを読んでおられる葬儀社関係の方がおられたら是非お願いしたい。コストの問題もあるのだろうが、こちらも声が出なくなったら仕事にならない職業なのである。どうか、できるだけいいお香を使って欲しい。喉をつぶされちゃタマラナイのです。
さて、一年に一度程度は参列者になりうるあなたにもお勧めしたいことがある。
葬儀などで焼香する時には、本来、ご自分のお香を持参すべきなのです。自分のお香を持参して献じるのが本当なのです。葬祭ホールが用意したお香で焼香するのは、借り物を献じているのであって、本当の意味ではない。
どこかのお寺の法要で、管長様や老師様が焼香をされるのをみたことがないだろうか。老師について、侍香(じこう)という役目の修行僧が手持ちの香合を差し出し、老師はその中から沈香をつかみ取って、真前にお香を献じられる様子を。あのお香は老師自らがお持ちになったものである。
焼香の列に並びながらポケットから香合をさっと取り出し、一つつまんで、気持ちを込めて香合にくべて、合掌一礼。
それから、そのあと葬儀社が配るお手拭きタオルなど受け取ってはなりませぬ。それなら事前にきちんと手を清めておく方が大切なのです。焼香で手が汚れるなどということはないわけですから。