漫画家の赤塚さんが亡くなって、久しぶりに、氏の「茶碗蒸しとスプーン」の会話を思い出した。スプーンと茶碗蒸しが描かれていて、スプーンの吹き出しに「あなたもう寝ましょうよ」とある。それで私は心の芯まで愉快になってしまった。スプーンも茶碗蒸しも、その役割を軽々と逸脱して、信じられないほど無意味に、しかし堂々とそこに描かれている。
別の図柄。頁の上の方におてんとうさまが描かれ「ポカポカ」とある。そのお日様の下のほうで若者たちが殴り合いをやっている。「ポカポカ」は殴り合いの音だったのだ。その絵を見た秀才の友人が、「赤塚は天才だね」と言ったのが何十年も昔のことだ。今思い出しても、その情景は色あせない。
8月5日の朝日の朝刊に、鶴見俊輔先生が、「赤塚不二夫さんを悼む」という追悼文を寄せておられる。
「一代の奇才、赤塚不二夫の逝去を惜しむ。赤塚不二夫を見るようになってから四十年あまり、まだその影響の渦の中にいる」という書き出しで始まるその文には、赤塚さんの造語もいくつか引かれている。「ガバチョ・トテシャン」(薬はまだか)、「タネプップー」(スイカ)。飛び跳ねる馬の情景を「パカラン、パカラン、パカラン」と何十コマも描く。鶴見先生はこの筆力を、「ゼロ歳児にもどった生命力の裏づけによる」もので、「その生命力の無法な羽ばたきが、今も私の耳にある」と書いておられる。
赤塚さんの漫画の数々を思い出してみると、どの楽しさにも、楽しさだけがある。赤塚さんのギャグは、出会ったときと同じ新鮮さを今も保っている。いずれにも「法(しばり)」というものがすっぽりと抜け落ちているからだろうか。