国泰寺を後にして、ふと思い立ち、能登半島の先端近くにある蛸島へ向かった。
なぜなら、ここはあの鈴木大拙博士が若きころに住んでいたことがある町なのである。
なんということはない、とても辺鄙な小さな田舎町である。
もとは塩業が盛んであった町で、のと鉄道能登線の終点・蛸島駅があったが2005年に廃線になってから鉄道もない。
さて、この交差点のちかくに、蛸島小学校をみつけた。
『鈴木大拙未公開書翰』によると、鈴木大拙の兄・元太郎はこの小学校で校長をしていたのだ。そして大拙は、第4高等中学校を退いて後、この兄のもとに寄寓していたのである。そしてそこから近くの飯田小学校に先生として通ったという。
また、大拙自身もこの小学校で先生をしていた可能性もあるらしい。
今は鉄筋コンクリートの新校舎となっていて、当時の面影はないのだが、この寂れた町は、まぎれもなく大学者鈴木大拙の原点の地なのである。
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