先日、お茶会で大徳寺の塔頭、瑞峰院さんを訪ずれました。
すると、美しく穂をひろげたススキの前で、着物のご婦人方が何やら下をのぞきこんでいます。
はてさて何事かと一緒になってのぞいてみると、なんとも不思議な花が…。
親切なご婦人が、「ススキの養分を吸って生きている、南蛮煙管(ナンバンギセル)という花よ」と。
なるほど!花が煙管の形そのもの!おもしろい!にしても、ススキに寄生とは…。
少し調べてみますと、葉緑素を持たないこの花は、ススキやミョウガ、サトウキビの根などに寄生し、養分を吸い上げて生きているそうな。
葉緑素…そういえばむか~し理科で習いました。確かにお日様をたくさん浴びてもあまり意味のなさげなそのお姿。したたかに生きているのですね。
と言いつつふと我を振り返り……、人間はえらそうにしているけれど、自分で養分を作れるわけでもなく、同じく地球に生きている命をいただき、地球を汚してなんとか存在している事を思うと、南蛮煙管のことをえらそうに言えないではないか!と思うのでした。
それにしましても、禅のお寺はいつ行っても胸がすーっとします。
いつも、「すごいものだなぁ…」と感心してしまうのは、お茶会などで訪れますと真っ白い足袋をはいていますが、それがほとんど汚れないという事(和尚さんがたには「当たり前だ!」と言われそうですが)。
着物を着ていますと、摺り足で歩いていますので、少しでも汚れた廊下などを歩くと足袋の裏はすぐに真っ黒になります。
禅の寺の凛とした空気は、何もその伽藍が素晴らしいからとか、歴史があるからとか、そういった理由のみで保たれているわけではないのです。
毎日続けられる和尚様がたの読経や、朝早くからの掃除。それが絶え間無く続けられている事によるたまものなのであって、仏教の、禅の精神が今もなお伝えられている証なのです。
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