メモリアル・チョルテン -ブータン-

参拝する人がたえないメモリアル・チョルテン

首都ティンプーの街の中央にある。
チョルテンとは、“仏塔”を意味するチベット語で、ブータンのいたる所に建っている。
このメモリアル・チョルテンは、1972年に亡くなった三代目国王ジグミ・ドルジ・ワンチュックが生前に発願したものを、国王の没後、四代目の現国王が意志を引き継ぎ建立した(ガイドブックなどには国家事業として・・・とある)。
チョルテンの中には、忿怒形の歓喜仏による立体曼荼羅が繰り広げられている(内部の写真撮影は不可)。以前訪れたネパールでもよく目にした歓喜仏であるが、ここブータンでチベット仏教を広めたグル・リンポチェが、人々に悟りというものをわかりやすく説くために、ボン教の教えと融合させて作ったものだそうだ(ガイド談)。また、各寺院や寺院での祭に、ボン教の名残を垣間見る事ができるようだ。
どこの国に仏教が伝わっても、やはり土着の宗教や信仰というものは無視できないものだなと感じた。日本では家に仏壇と神棚がある。以前訪れたミャンマーでは、もちろん国の宗教は仏教だが、今でも山の精霊に漆塗りの美しい高杯などで供え物をすると言っていたし、皆精霊の存在を信じていると言っていた。

大きなマニ車の周りにはご老人達が・・・

メモリアル・チョルテン内のマニ車(中に経文が納められ、これを回すとお経を唱えたのと同じ御利益がある)の周りに座っているご老人達を前にガイドが説明してくれた。私は強い衝撃を受けた。


日本でいう、リタイアした人たち。つまり仕事も終え、定年後の生活というわけだ。
あとはひたすら功徳を積むために毎日ここへ来て、一日中座ってお経を唱えつつマニ車を回し続けているという。この人達にももちろん迷いや悩みや苦しみはあるだろうし、ブータンが現在の姿になるまでにはいろいろな事があった。が、しかし、その心の平安は日本の老後とどれほど違うだろうか・・・。
若い頃から、老後の為と資産運用をし、老いれば年金がきちんと支払われるか不安を抱き、医療費や介護費の事を気にかけつつ子や孫に迷惑がかからないようにと願う。
ここには、そういった悲しい不安は無いように見えた。
延々と続く魂の生まれ変わりを、何の疑いも無く信じる人々をすぐ目の前にし、深く感動した。

次の出番を待ち、外で乾かされるバターランプの器

これは、チョルテン内にあるバターランプの器。ブータンではどこのお寺でもロウソクではなく、このバターランプが使われている。これを一日中燃やしているので、独特の香りが漂う。

松を燃やしてお清め

お参りが始まる前に、朝必ず空気を清める為、松や杉など?を燃やすようだ。
ガイドはsacrificeという単語を使っていたが、特に何か動物などを燃やしているわけでもないようだったので、やはりお参り前のお清めのようだ。

お参りする人々
老若男女がたえずお経を唱えながら周りを回っている。
私たちもガイドのすすめで、共にチョルテンの周りを3回まわった。
また、ひたすら五体投地をする人々に、そのスタイルが違うのを不思議に思っていると、チベット式は全身を地面につけ、伏せるような形をとるのに対し、ブータンスタイルは、最後はおでこを地面につけるだけの形なのだとか。
これからたくさんの寺院を拝観する事になるが、そこでブータンスタイルの五体投地をガイドと共にすることとなるが、やはりガイドは、いつも3回やりましょうと言うのであった・・・。
仏教で、3という数字はやはり他国の仏教であってもポイントなのだなと思った次第。
(N.K Wrote)

メモリアル・チョルテンの全容