少し前、ちょっと遅めの衣がえをした。
これまで着ていた夏物から冬物にかえるのであるが、その時に数本を紐で束ねた状態にあった針金ハンガーに目がとまった。
針金ハンガー。クリーニング屋さんに衣類を出すと、返ってくる時に無料でついてくる、”あれ”である。いつの頃からかビニールでコーティングされているが、目にとまったのは、それ以前に出回っていた針金のみのもので、付け加えるならば、少々経年劣化による変色がみられる程度で損傷等はない。
ハンガーというのは、人体の肩の形状を再現してある部分と、それを何かに引っ掛ける部分とで成り立っており、針金ハンガーは、それを”ひとふでがき”のように、針金で描いたものである。逆に考えると、この創造物は、針金という素材でしかつくれない、針金という素材ならではの、針金という素材でしか成りようのない物である。しかも、お仕舞いはクルクルっと捻じるだけ、というのも、この素材ならでは、である。また、極限まで無駄をそぎ落としたかのような加飾のない形状ということもあり、このような素材や形状等の関係に美意識を感じる人もいるようである。
しかし、肩の形状というのは針金1本で形成し得るものではない。だから、かけられている物によっては、クセがつくため、クリーニングから返ってくると、ハンガーをかえてやる必要がある。ということは、それらの針金ハンガーの役割というのは、家についてハンガーを交換した時点で終わり、ということになる。
このような針金ハンガーであるが、形状が変わりやすく、さびやすいため、再利用には不向きということで、大部分が産業廃棄物としての処分となるらしい。プラスチックハンガーは殺菌して再利用できるが、針金はゆがみを直したりビニールをかえたりと、リサイクルにかかるコストが高くなるということである。待てよ。そういえば、このような問題は針金ハンガーだけではない。視点をかえると、いろいろな問題があるようだ。
そんなことを知ってか知らずか、当の本人達は、なんだか達観しているように見える。また、それに加え、前述の針金のみの経年劣化組からは、「ここに来てずいぶん時間がたったけど、かける物があるなら、いつでも肩を貸すよ?」と、あくまでも用に徹した謙虚な面持ちで語りかけてくるのである。
そんなこんなで、捨てられない。