加藤周一さんが亡くなったことを、昨日の朝日の夕刊(2008年12月6日)で知った。深い衝撃だった。加藤さんは心底先生とお呼びしたい人だった。立命館に来られていたころ、一度でもいいから受講したいと願っていたが、平日で叶わなかった。直接お目にかかっていないので「加藤先生」と書けないのが悲しい。楽しみにしていた朝日掲載の「夕陽(せきよう)妄語」が見られないのがとても気にかかっていた。お具合が悪かったのだと、今になってわかる。
加藤さんは本当に桁外れだった。私など加藤さんのお仕事の片鱗を垣間見させて頂いただけだが、ずいぶん以前に拝読した文体論など、今でも鮮やかに脳裏に蘇る。東大医学部で学ばれた加藤さんだったが、象牙の塔に閉じこもってしまわれなかった。戦争体験が大きく関わったのだろう。しかしこのことは、われわれ民衆にとって幸いだったと思う。医学の分野のみならず、ゆうゆうと世界に飛翔して、途轍もない視野で、さまざまな事象を掘り下げ、私たちにわかる言葉で伝えてくださったことは、やはり掛け替えのないことだった。
矢島翠さんという類まれなパートナーとともに在って、加藤さんのスケールは2倍、3倍の拡がりを得、なお日々の暮らしの隅々にまで眼差しが注がれたことは間違いないだろう。
加藤さんは民を愛する人だった。あのような途方もない「知の巨人」の言葉がわたくしのような一人の民のこころに届くのは、加藤さんが何よりもまずヒューマンな人だったからだと思うのだ。