さて、これは何かおわかりだろうか?
なんと、お茶室だそうで、その名も「高過庵(たかすぎあん)」というそうだ。
内部は見せてもらうことができない(そもそも高所恐怖症の私は遠慮したいところ)のだが、この茶室は、建築家・藤森照信氏(ふじもり てるのぶ、1946年~)が、自分の故郷の私有地に建てたものだ。
そして、この高過庵のすぐ下にあるのが、「神長官守矢史料館」(長野県茅野市宮川高部389竏窒P 0266-73-7567)である。
この建物も風変わりであるが、これを設計したのも藤森照信氏である。
ここは、諏訪大社の神長官・守矢家の史料館なのである。守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきたという古い家柄で、この史料館は、その敷地に建てられている。
史料館の館長らしき初老の紳士は、どうやらお話好きのようで、混み合ってはいないが、訪れる人それぞれに親切に説明をされていた。
ちなみに、この藤森氏は、私が以前におとずれブログにも書いた浜松市にある秋野不矩美術館の設計者でもある。そういえば、同じ雰囲気である。
敷地内には、このような小さな社も有り、また史跡に指定されている神長官裏古墳もある。
この社の裏に位置して、守屋山という山があり、この山が諏訪大社上社の御神体なのだ。
守屋山と守矢家、字は違うがまさしく通じるに違いない。
そしてもちろん、諏訪大社本宮上社は、この守矢史料館の近くに位置する。
先のブログにも書いた諏訪大社下社秋宮と比べると、なにかまるで雰囲気の違う神社だと思った。空気が違うというのだろうか。
ともかくも、この山に囲まれた神聖なる土地に、上社と下社という二つの神社が諏訪の湖を隔ててあり、それぞれの神社には清き山からおろされた御柱が建てられる。冬になると諏訪の湖には「御神渡り」といわれ、上社から下社へ神様がおわたりになる跡があらわれるという。
ここも古き良き日本の神聖なる風土である。