ニトクリス

ヘロドトスは「歴史の父」と言われる古代ギリシアの歴史家であるが、その著書『歴史』の中に、アッシリアの女王ニトクリスについての記述がある。首都バビロンに堤防を築くなど、彼女の行なった様々な功績を記した後、ヘロドトスは次のような逸話を伝えている。
この同じ女王は、次のようないたずらを考え出した人でもあった。彼女は町で最も人通りの多い門の上に自分の墓を作らせたのである。墓は正に門の上に懸っているのであるが、この墓に次のような文句を彫り込ませた。「われより後バビロンに王たる者にして、金子に窮する者あらば、この墓を開き欲するままに金子を取れ。然れども窮することなくしてみだりに開くべからず。凶事あるべし。」
この墓はダレイオスの支配になるまでは手を触れられなかった。ダレイオスはこの門を使用できぬことも、財宝が納まっていて、しかも開けよという文句まであるのに、その財宝を取らぬことも、いまいましいことだと考えた。彼がこの門を使用しなかったのは、この門を通れば、死骸がちょうど頭の上に来ることを嫌ったからである。さて墓を開けてみると、財宝はなく、あったのは死骸と次の文句とだけであった。
「汝にして貪欲飽くことなく、利を追うて恥を知らざる輩ならざりせば、死人の棺を開くことなかりしものを」
この女王はこのような人物であったと伝承は語るのである。
(『歴史』第1巻187節。岩波文庫版の上巻140頁)
 
ところで、同じ『歴史』のなかで、ヘロドトスはもう一人の女王ニトクリスを伝えている。こちらはエジプト女王であるという。


祭司たちは一巻の巻物を開き、それによってミン以後の三百三十人の王の名を次々に挙げた。このおびただしい数に上る世代にわたって、十八人はエチオピア人で、唯一人だけ生粋のエジプト人の女性がおり、他はすべてエジプト人の男子である。この王位にあった女性の名は、奇しくもかのバビロンの女王と同じくニトクリスといった。
祭司たちの話では、この女王は兄弟の仇討をしたという。彼女の兄弟はエジプトの王であったが、エジプト人は彼を殺し王位をニトクリスに委ねたのであった。ところが彼女はその兄弟の仇を討つために、多数のエジプト人を騙し討ちして殺したというのである。彼女は巨大な地下室を造り、表向きはその落成式を祝うと称し、内心実は別のことを企らんでいた。エジプト人の中でも兄弟の殺害に共謀してもっとも罪の重いことのわかっていたものたちを招き、多数の客を歓待したのであるが、宴たけなわの時秘密に作られた大きな管から河の水を流し込んだという。この女王に関する祭司たちの話はこれだけであるが、このほかにひとつだけ附け加えたのは、女王は事をし終えると、報復を免れるために、自ら灰の詰まった部屋に身を投じたということであった。
(『歴史』第2巻第100節。岩波文庫版の上巻220頁)
アッシリアのニトクリスが実在するいずれの人物に該当するかについては様々な意見がある。エジプトのニトクリスも伝承の中の人物であり、実在性ははっきりしないという。このほかにも古代オリエントの歴史や伝承に関する書物を読んでいると、同一の名を持つ女性に出くわすことは珍しくない。マスネの「タイスの瞑想曲」で有名なタイスもその一例である。それらの一致には比較説話学的な必然性があるのか、それとも当時の一般的な名前であったにすぎないのだろうか。