さて、先ごろ掲載しました職員の酷評に続き私めも……。
おりんという女性の立場に立って観てみたい!と、おそろしく期待して楽しみに観にでかけたのですが、感想はというと、ほぼ前回、他の職員が書いたものと同じようなものでした。
一番残念だったのは、道元禅師という日本を代表する宗教者、禅僧が悟った瞬間のイメージが安易に描かれていた事です。
坐禅をしていると、蓮に坐っていてそのまま空高くぴゅーんと飛んでいき、光がぱああぁぁっと……。
悟りのイメージをわかりやすく…というのは難しく、このようになったのかもしれませんが、安易に描いても良いものなのでしょうか。冷や汗が出ました。
おりんの子供が、病気で死の淵をさまよっている時に道元に助けを求めれば、お釈迦様の芥子の実の話(釈迦 芥子の実 などで検索するとどのような話か出てきます)を、ほぼそのまま使っていたりするのにも興醒めしてしまいました。
また、少し禅に興味を持って観に来られた方や、歌舞伎役者が主演ということで観に来られた歌舞伎ファンの方には、禅の専門用語が出てくると、何のことか全くわからない場面も多かったのでは?!と感じました。
あれ? え?! と、疑問に思ったり驚愕してばかりいるうちにこの映画、終わっていました。
主演の中村勘太郎さんは、歌舞伎で“型”ができているだけの事はあって、普通の俳優さんが演じるより姿も美しく、よかったのかもしれません。が、いまいち疑問ばかりが浮かび、集中できないでいると、叫んでいらっしゃる声がお父上の声に聞こえて…「いやぁさすが親子。よく似た声だ」なんて違う事を思って感心したり…。
道元さんのいう「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」を真摯に伝えようとするなら、夜空を埋め尽くすほどの大きすぎるお月様や、その他のCG映像も、なんとかそこをプロの演出でこちらに想像させるだけの技量が欲しかったです。そして、“あるがまま”の日本の美しい風景と共にある映画だったなら…。
“あるがまま”からは大きくはずれてしまったこの映画に、やはり“あるがまま”が大事なのだな…と、皮肉にも教えられた次第です。
おりんの出家に関しても、そこまでこの映画の中の道元禅師に求心力があったかと言われれば、そうも思えず、なんとなく帰依していってしまったような感じで、深さも無く、残念でした。
そして最後にはおりんが修行の為?か、宋へ(驚愕)。
観る者の関心や感動を誘う為の、史実を曲げてまでの演出は、ともすれば滑稽にしか映りません。
結局のところ、何が言いたいのかいまいち私にはわからないままに終わってしまいました。
私としては、夏に観た『崖の上のぽにょ』が、良い映画だと思えました。
こういう作品です!これを言いたいのです!と、過大アピールをするわけでもなく、宣伝を観た限りでは、「魚の子?ぽにょ? 女の子?なんだ?」と何もわかりません。
それでいて見終わった後は確実に、他を尊重し、愛する事の素晴らしさ、何よりも、生きているって素晴らしい!と大いに思える感動が、心に溢れたからです。
さほど映画好きでもない素人の勝手気儘な感想です。どうかお許し下さい。
ネットで検索してみると、素晴らしかったのでまた観たい!というような感想もありました。
勘太郎さんは上手だし、禅らしい雰囲気が出ているではないか!と、聞こえても来ました。
歴史上の人物、特に宗教者を映画にするのは、とても難しいものなんですね。
皆さんは如何でしたか?