東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
北野天満宮の梅がほぼ満開です。
訪れる家族づれやアマチュアカメラマンなどは、その美しさに魅せられ皆幸せそうでした。
道真公が好きであった梅の花……と思うと、太宰府に左遷された事や、都を懐かしみかの地で最後を迎えられた事、その後の京の都の天変地異などを思い起こし、複雑な気分になりました。
現在は、桃源郷かとみまごうような梅の花々の美しさに、さぞかし道真公の御心も慰められる事だろうと感慨深く、梅見を楽しませていただきました。
さて、このような道真公の無念や、その後に立派に祀られ、人々の信仰を集められている事を思うと、これはまさしくお能の題材に向きそうな…と思い(あまり詳しくないもので)、インターネットで調べてみると、やはりあるようです。いつか観てみたいものです。
たまに観にでかけるお能ですが、私がお能に惹かれますのは、演目にもよりますが、人間の感情のどろどろした部分、嫉妬・怒り・苦しみ・悲しみなどなどが、最後には慰められ魂の浄化(表現が正しくないかもしれませんが…)を迎えるところです。昔の日本人が、人間の業・死生観、そして魂や念などの行き場、供養、浄化などを盛り込み、芸術としてここまで高めた事に感嘆せざるを得ません。そしてそれら全ては、昨今忘れられがちですが、どれもこれも深くみつめなくてはならない大事な事ばかりです。
と、話が違う方へと行っていました。
さて、最後に、今回天満宮へお参りし、「なんだかな~(残念)」と思いましたのは、いくら梅見のために訪れたといえども、やはりまずはお参りをして手を合わせてから梅を楽しんだ方が心もスキッとして気持ち良いのになぁ……という事でした。
いくら季節の美しいものを愛でたとて、梅園に直行!では本末転倒といったところでしょうか。