-祖師西来意・そしせいらいい- えしん先生の禅語教室 その3


卓州胡僊 蘆葉の達磨画賛(禅文化研究所蔵)
-卓州胡僊 蘆葉の達磨画賛-
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一般に「祖師」と言うと、禅宗の法灯を伝えた歴代の祖師のことですが、ここではインドから中国へやってきた「菩提達磨」(ぼだいだるま、達摩とも書く)個人を指しています。そう、選挙の時などに担がれるあの朱達磨こそ、六世紀に中国で禅宗を開いた人なのです。
手も脚も衣に包んで、九年のあいだ少林寺の洞窟でじっと坐り続けた達磨さんは、いくら押し倒しても七転八起する「不倒翁」です。なぜなら達磨さんは、外から加えられた力ではなく、自身の肚(はら)のなかから湧き出るセルフパワーを具えているのです。いわゆる自力ですね。また人の心胆を見抜いてしまうようなあの鋭い眼光は、悟りの智慧のはたらきを示したものでしょう。
達磨の図を見ますと、蘆の葉に乗って暗夜に揚子江を渡る「蘆葉(ろよう)の達磨」とか、毒殺されて熊耳山(ゆうじざん)に葬られてから蘇り、沓(くつ)を片方だけ持ってインドに帰って行く「隻履(せきり)の達磨」など、キリスト顔負けの奇跡を見せた人として描かれています。これらはすべてフィクションです。
しかし実際に達磨という人が存在したかどうか、歴史的な証拠は何もありません。ただ敦煌(とんこう)から発見された『洛陽伽藍記』永寧寺の条に、菩提達磨という百五十歳のペルシャ僧が登場してきます。それが禅宗の初祖に祭り上げられたらしいのです。


禅宗で伝えられる達磨は、いわば禅僧たちの熱い信仰告白としての架空の達磨です。それによると、達磨は南インドの香至国の第三王子で、出家して仏陀から数えて第二十八代の祖師となり、初めて「仏陀の心印」(悟りの内容)を中国に伝えたというので、禅宗ではこの人を「初祖」とすることになったのです。
このように達磨は歴史的な人物としてではなく、熱い信仰によって「初祖」に祭り上げられた信仰上のイメージであり、彼は歴史を超えた「信仰上」の師表なのです。ですから禅の修行者たちにとっては、達磨は過去の歴史的人物ではなくて、現在も生き生きとして生き続け、自分に立ち向かってくる「永遠の祖師」であります。それどころか、「釈迦も達磨も修行中」と言われるように、釈迦も達磨もいま修行している自分自身に他ならないとするのが、仏や祖師についての禅宗の見方です。
そうなると「達磨がはるばるインドから中国へやって来たこと」(祖師西来意)も、決して過去の歴史的出来事ではなくて、それが現在の自分にとってどういう意味を持つかという実存的課題になるわけです。今回の「祖師西来意」という、よく床の間の墨蹟に書かれる禅語は、今も生き生きとして生きている達磨はどこにおられるかという、書を観る貴方自身への問い掛けなのです。
「如何なるか是れ祖師西来の意」という問いは、中国唐宋時代の禅僧たちにとって、ごく日常的な参禅の課題でありました。ある僧が趙州(じょうしゅう/778~897)和尚に、「如何なるか是れ祖師西来の意」と尋ねますと、趙州が、「庭前(ていぜん)の柏樹子(はくじゅし)」(庭先の柏の樹じゃ)と答えました。これは今も禅の「公案」(取り組むべき問題)としてよく知られています。
もう一つ、香厳智閑(きょうげんちかん/?~898)という和尚が弟子たちに向かって、「もし、樹に上って口で枝を咥(く)わえ、手や脚を樹から離してぶら下がっている時、誰かが下にやってきて、『祖師西来意とはどういうことか』、と尋ねたらどう答えるか。もし答えなかったら、質問を避けたことになるし、答えたら地面に落ちて死んでしまうだろう。さあ、どう答えるか」と問い掛けています。
禅宗では「祖師西来意」ということを、そこまで生死の課題として受け取るのです。
禅文化研究所 所長 西村惠信
※編集部よりご紹介……『日本にのこる達磨伝説』(藤田琢司著・禅文化研究所発行)