今回の大理での行事の一つは、明代に起こった政争に巻き込まれこの地で没した、4人の日本人留学僧が葬られている四僧塔での法要である。
この供養塔のことは、以前このブログでも紹介されているが、埋葬された中の1人、闘南という僧が、現在の臨済宗建仁寺派妙光寺(京都市右京区宇多野上ノ谷町)の僧であったことから、崇聖寺との友好寺院締結が生まれた経緯がある。
最近になって新聞報道などにより注目を集めた四僧塔であるが、彼らがどのような運命を辿ったかは日本側の史料には見出せず、中国側の史料によってその一端が窺い知れるだけというから、600年もの間日本人に関心が示されなかったのも仕方がないことであろう。
訪れた四僧塔の周辺は綺麗に整備され、奥には資料館も建てられていた。
草の生えた塔の上部のみが歴史の長さを感じさせる。
四僧塔は、天龍八部影視城という映画村の中にあり、大理の観光化政策の一環に組み込まれている感もある。しかし、これまで大理の人たちによって語り継がれ、守り続けられてきたことには日本人として感謝しなければならないだろう。
日中仏教交流の証としてこれからも大切にしたいものである。