面壁坐禅しない臨済宗 -映画『禅 ZEN』を機会に-


坐禅

以前の映画『禅ZEN』の感想にて、道元禅師の曹洞宗と、我らが臨済宗とでは坐禅の方法が違う云々…という事を少し書いたが、今日はそれについて触れたいと思う。
映画「禅 ZEN」でも禅堂でのシーンが何度も出てくるが、臨済宗との坐禅方法の違いを一言で言うと、曹洞宗では面壁といって、壁に向かって坐る。臨済宗はその反対で壁を背にして坐るのである。
禅宗初祖である達磨大師は面壁九年といって、洞窟の壁に向かって九年も坐禅をされていたというから、面壁が根本にあるのだろうし、江戸時代に発行された臨済宗の無著道忠著『小叢林略清規』にも、面壁で坐ることをつとめて行なうようにと書いてある。


だが、先に書いたように、現在の臨済の修行道場では甎(しきがわら)を間において、直日単(じきじつたん)側の雲水と単頭単(たんとうたん)側の雲水が対坐する。臨済宗では、禅堂で警策をもって指導する立場の高位の雲水(直日)が坐っている側を直日単といい、その対面を単頭単という。(※)
『雲水日記』(禅文化研究所発行)に載っている下の絵は、老師が検単(師匠である老師が雲水の状態を点検にこられる)されているところであるが、右側が直日単、左側が単頭単である。右側の一番奥に坐っているのが直日である。


臨済宗の禅堂

映画をご覧になった方や、曹洞宗の禅堂をご存じの方は、堂内の配置がかなり異なることにお気づきになるかもしれない。
たぶん、映画「禅 ZEN」で道元が坐して遷化されたときに坐られていた、後門のすぐ右が、曹洞宗で言う単頭の席(単頭単)なのであろう。
話がそれたが、ともかく、臨済宗は、いつのころからか面壁坐禅ではなくなったのである。
これは全く私の個人的想像の域を出ないが、きっと、江戸時代中期の臨済宗中興の祖ともいえる、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の考えによるものではないのだろうかと思うのだ。
白隠禅師は、曹洞禅や念仏禅を批判され、独自の生き生きとした公案禅を確立された。そして師匠である白隠禅師自身と修行僧との一対一の入室問答(参禅)が、かなり頻繁に行なわれるようになったのではないかと思うのだ。そうしたとき、禅堂での面壁坐禅は、参禅に向かうときにいちいち回転して降りなければならず、これは動作に無駄が多いと判断されたのかもしれない。
またあるいはそれよりも、背を向けて隔絶されたようにして坐る面壁より、お互いに向かい合って切磋琢磨して坐れ、現実と向き合って坐れ、という生き生きとした白隠禅の標榜の一つなのかもしれない。
さて、坐禅の仕方は下記のページに書かれているので、ご参考に。
臨済宗・黄檗宗公式HP 坐禅入門
また、ご自宅でも坐禅をしてみようと思われる方、こんなビデオがあります。
自宅で坐る
もちろん、正しく坐るには、きちんと直接指導を受ける方が望ましい。ということで、お近くの、臨済宗・黄檗宗寺院での坐禅会情報を調べたい方は、下記HPからどうぞ。
臨済宗・黄檗宗公式HP 全国坐禅会情報
※直日の直は当と同義で、一日の幹事に当たる役を直日といい、もともとは一日交代で居舎、器具の営繕、一切の作務を掌る役の意であるが、現在の臨済宗では、禅堂内での坐禅の指導監督をする総取締りの役をいう。また、単頭は本来、坐禅指導監督にあたる役であるが、現在の臨済宗ではほぼ使われなくなってしまっており、実質上、直日とその補佐役の助警(じょけい)が坐禅指導にあたっている。