-不識- えしん先生の禅語教室 その4

達磨図
霊源慧桃 達磨画賛
禅文化研究所蔵

『伝灯録』などによると、菩提達磨はインドから中国へやってきたとき、金陵の都で梁の武帝に会見したことが伝えられています。武帝という皇帝は日本の聖徳太子のように、外来の仏教を熱心に受け入れようとした人で、時の人々から「仏心天子」と仰がれていたのです。当然、彼はインドからやってきた達磨という「碧巌の胡僧」(青い眼をした外国の僧)に深い関心を抱かれたのでしょう。
聞けば達磨という不思議な人物は、他の訳経僧たちと違って、漢訳した仏教経典の一つも持たず、手ぶらを振って中国にやってきて、「自分の仏教は文字に依らず、経典には書いていないことを伝えるのだ。そして人の心とは何であるかを問題にすることで人間の本性をつかみ取り、みんなを仏にさせるのだ」(不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏)と言いふらしている。そういう男にぜひ会ってみたいものだと思われたのでしょう。
武帝が、「私は即位いらい寺を建てたり、写経を勧めたり、坊さんを供養したりしてきたが、どういう功徳があるだろうか」と尋ねると、達磨は「無功徳」(何のメリットもありますまい)と言うのです。「仏教の教えるもっとも聖なるものは何か」と問われると、「廓然無聖」(カラッとしたもので、聖なんていうものなどではありません)との答え。
そこで武帝があきれ返って、「いったいお前さんは誰じゃ」と言われると、達磨は「不識」(知りません)と答えたのです。まるで人を喰ったような答えばかりで、武帝は何のことだかさっぱりつかみ所がなかったのですが、伝記の記者はそういう仕方で、達磨の禅宗が初めから他の仏教と一線を画していた、と言いたかったようです。


ところで私たちは、あなたは誰かと聞かれると、自分の名とか、国籍とか、出身地、学歴、更には自分の性格まで、いろいろと自己紹介しますね。しかしそういうことは自分が知っている自分というものの説明であって、本当の自分自身ではありません。まあ、今の言葉で言うと、自分が「知っている自分」というものは、意識という空虚な鏡に写った幻想としての「意識的自己」であって、実在する「真実の自己」ではないのです。
ちょうど私たちが、眼によって周りの世界や自分の身体を見ることができても、そのはたらきである「眼そのもの」を見ることは出来ないようなものです。しかしその見ることの出来ない眼こそが、実は本当の「自分の眼」なのです。禅語に「眼は眼を見ず、火は火を焼かず」とあるのは、そういうことであります。そういえば自分で自分のことはよく知っているつもりでも、自分の背中さえ見ることが出来ないまま一生を終ってしまうのですね。本当のものは、このように知ることが出来ないのです。
こう言うと皆さんは、自分でさえ知ることの出来ないような自分など、いったいどこにあるのかと言われるでしょう。それがちゃんとあるのです。そうです、あなたは深夜ぐっすりと眠っているとき、自分の存在さえ知らないでいるでしょう。しかし、明くる朝起きてみると、ちゃんとベッドに寝ていた跡があります。紛れもなく「自分でも知らない自分」がベッドの上に転がっていたのです。
このように意識で自分を自覚するまでに、先ず母親の胎内から産み出された肉の固まりがあって、これこそ掛け替えのない自分という事実です。それが死んだら棺桶に入れられるだけのこと。これこそ「実在」としての自分ですね。その肉体を自己で意識して、これが私の身体だと知ったとたん、それはもう実在から離れてしまった幻想としての「意識的自己」に過ぎないのです。
そうなると達磨が、あなたは誰かと問われて「不識」(知らん)と言ったのは、真実の自己についての正しい答えであったことになります。こうして達磨に始まる禅宗こそは、仏教各宗のなかでも、この意識以前の「真実の自己」に目覚めようとする独特の一派であり、坐禅こそがそのもっとも適切な方法として、今日まで伝えられてきたのです。
特別展 妙心寺 -京都国立博物館-
禅文化研究所 所長 西村惠信