WBCの決勝戦で、10回の表に2点適時打を放ったイチロー外野手が、試合後のインタヴューで「ぼくは(何かを)持ってますね。神が降りてきましたね。日本中のみんなが注目しているだろうと思って、自分の中で実況して、そういうときには結果が出ないものですが、それで結果が出て壁を越えたと思います」と言ったと報じられた。
「神が降りてきた」という言葉は日本人ジャーナリストたちの心を捉えたのだろう、大きく取り上げられて新聞の見出しなどに使われていた。私もこの言葉に良い意味でハッとした。それで、アメリカのメディアはこの言葉をどんなふうに受け止めているのだろうと思って、メジャー・リーグ公式ホームページのニュースを見たら、ちょっと別のニュアンスで報じられていた。
――バッターボックスに立っている間、心を清浄にして無心のアプローチ(take a Zen approach)ができたかと尋ねられたイチローは、クスッと笑って、「無心で(in a state of Zen)立てたらよかったのですが、さまざまなことを考えていました。考えてはいけないのに、あれこれとずっと考えていました。こうなると普通はヒットが出ないのですが、打つことができたのです。ぼくは自分のなかで何かを越えたのかもしれないなと感じました」。――
「神が降りてきた」という表現は英訳しにくいだろうなと思っていたが、その個所は触れられていなかった。多分、それが正解なのだろう。イチロー選手の言葉として「神が降りてきた」なんて紹介されたら、ヒュブリス(神に対する思い上がり)と受け止められかねないだろう。日本在住40年を越すアメリカ人の友人に聞いてみたが、やはり「神が降りてきた」というニュアンスは分かりにくいと言っていた。
Japan Times に、「天が主役イチローに加勢」という見出しの記事が掲載されているよと教えてくれたが、「神が降りてきた」というイチロー選手の言葉は取り上げられていなかった。こういう「配慮」は自動翻訳機ではできないなと思って可笑しかった。
それにしても、ZENという言葉は、「無心に」「超然として」「平常心で」というような気持ちを伝える言葉として、ある種の賛嘆と諧謔をともなって、しっかり根付いているのだなと改めて思った。