妙心寺開山650年大遠諱へ その2


妙心寺開山650年大遠諱

遠諱団参の続きである。
退蔵院を出た後、仏殿と法堂の間で集合写真をにこやかに撮っていただいて、檀家さんたちは法堂へ案内され、私たち住職は大方丈の隣の寝堂で出頭用の法衣に着替え待機。



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順次入堂し、総勢600名の檀信徒の見守る中、導師である大本山妙心寺・東海大光管長が入堂され、遠諱大法要が始まった。
御本尊への読経、開山無相大師への報恩謝徳の読経につづき、檀信徒の先祖供養の読経と、法堂に響きわたる読経の音声は、日頃、小さな本堂で聞いている読経の声と違って、檀家さんたちにどのように届いたであろう。
そして、厳かに約40分の法要が終わると、管長猊下からご法話があった。
その中で印象的だったのが、次のようなお話だった。
ここにお参りの皆さんのお宅には、神棚やお仏壇がおありだろうが、ご子息やご令嬢が結婚して新しい世帯を構えておられるお宅にはお仏壇や神棚があるでしょうか。
私は是非、お仏壇や神棚をおくように勧めたい。
なぜならば、例えば余所から珍しいものを頂いたときにはまずお仏壇にお供えして合掌する。ご先祖にお仏飯やお水やお茶を供えたりする時、合掌する。
神聖なるものに手を合わせて頭を下げているのです。
一緒に住んでいる子供たちは、おのずと、その姿を見ることになる。
そういう環境の中で育った子供たちは、決しておかしなことにはならないものです。
ですから、この話をお家に持ち帰って、是非、お子さんたちにお仏壇を備えるようにおさとしなさい。
こういったお話でした。
気高いものに手を合わせ頭をさげる。本当にこれは大切なことで、それを身をもって実践し、子供たちにも見習わせるとよい。本当にそのとおりである。

東海庵にて

ありがたいお話をいただいて、法要を終えた我々は、帰路に向かう前に、自坊の本庵である東海庵を拝観させていただいた。ここでも担当の布教師さまから、ご説明があった。
東海庵の方丈前庭は白砂が敷かれて、線がひかれているだけの何もない庭である。借景に本山の仏殿や法堂が見えるが、庭木や庭石といったものは何も配置されていない。
そういう庭をみて、わが心を見つめ直すのである。
その後、開山堂を拝観して帰路についた自坊の遠諱団参一行は、少々お疲れのご様子ではあったが、みんな清々しい気持ちになっていい顔をされていたように思う。
充実した春の一日であった。