清涼寺 嵯峨大念仏狂言

釈迦如来

京都三大念仏狂言(壬生狂言・嵯峨狂言・閻魔堂狂言)の1つ、嵯峨清涼寺の“嵯峨大念仏狂言”を観にでかけました(4月11日)。
京都に住んでいながらも初めての鑑賞となる無声狂言で、開演のどのくらい前に行けば座れるのか、チケットは必要なのか、いまいち情報がわかりませんでしたので、ご参考までに。
まず、演目や、行われる日時などはこのサイトをご覧になって確認を。
私が訪れた日は、チケットなどもいらず、狂言堂の前に並べられた床几に座るか、少し離れて観る事にはなりますが同じ高さから観る事のできる鐘つき堂に登り、適当に腰掛けて観るかの選択でした。
よほど関心のある方か、地元の方しか訪れない為、桜の美しい頃でしたがさほど混み合う事もなく、1番目の演目が終われば床几の席もだいぶ空く為、入れ替わって座る事もできました。
今回この大念仏狂言を観に行き、1番に感じたのは“自由さ”でした。
少し離れたところでござを広げてお弁当を食べながら観る方もいらっしゃれば、子供達は鐘つき堂の櫓によじのぼって観ていたり…。途中から見始める人もいれば、ふらりと抜け出す人も。
能楽堂にお能や狂言を観にでかける時の心地良い緊張感も良いものですが、外での自由な空気にリラックスしながらの鑑賞も素晴らしいものでした。
やはりこれはもともと、庶民にわかりやすく仏法を説くために始まったものであり、地元の人たちの間で伝え守られて来たものだからこそ出てくる雰囲気なのだな…と、京都の地の良さを存分に味わいました。
保存会では、着物などの寄付や、一緒にこの狂言を伝えていく為のお手伝いをしてくれる方を募っておられるようでした。現代社会において、こういった、土地で受け継がれて来た伝統を土地の人のみで守っていくのはとても難しい事になってきているのでしょう。
保存会の方達の努力に頭が下がる思いでした。
大念仏狂言 清涼寺_嵯峨