愚堂東寔書「雲門云関」


愚堂書 雲門云「関」

十年ほど前にとある篤信家の方から、自坊の前庭に寄進いただいた石である。表面には、”雲門云「関(かん)」 愚堂”と書かれている。とても力強い書である。
雲門というのは、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949)という中国唐代の禅僧で雲門宗の祖、有名な「日々是好日」という言葉も雲門の語である。
ここに書かれている語は、『碧巌録』第8則の本則にも出る難解な公案で、翠巌和尚が解制の日の説法で発した問いに対して、保福と長慶と雲門の三人の傑僧が答えた。その時の雲門禅師の答えが「関」であった。
内容については、碧巌録の解説書を紐解いていただくこととして、この公案はあの大灯国師も関山国師も3年間も取り組まれたといわれる難解なものだとか。
これを書かれた愚堂というのは、愚堂東寔禅師(1577~1661・大円宝鑑国師)である。来年、妙心寺塔頭の聖澤院(しょうたくいん)にて350年遠諱が勤められる。


禅文化研究所では、この遠諱事業として、禅師の語録である『宝鑑録』と『愚堂和尚年譜』の訓注、そして禅師の墨蹟をあつめた図録を制作するよう委託されている。
目下、訓注作業も着々と進んでおり、私は図録の制作のために情報収集したり写真撮影に出向いたりといった段階だ。
多くは住持された岐阜の大仙寺や三重の中山寺、京都の華山寺に所蔵されているので、その近辺の寺院も含め、ほぼ所蔵がわかっている。
ところが、実は、上部の石に彫り込んでもらっている書の所蔵者に辿り着けなくて困っている。
この書は、『近世高僧遺墨集』という図録にも掲載されていて、それを元に石に彫らせていただいたのだが、この図録に掲載される書画は編者である吉井清三という方の所蔵品のようである。共編されている福島俊翁先生ももう鬼籍に入られて久しい。前書きから換算すると、吉井氏は、生存されていたとしたら130歳くらいになっておられる。
兵庫県に住まわれていた方のようなのだが、現在のところ、その遺族もわからず、お手上げといったところ。
愚堂禅師の図録に是非掲載したい一つなので、まだまだ探してみようと思っている。


花水木