先日、仕事の為に建仁僧堂を訪れました。
在家の私のような者(しかも女性)にとっては、禅文化研究所に勤めていなければ訪れるご縁も無いような所なので、仕事ながら心から楽しみにでかけました。
これまでに私は、いくつかの僧堂にお邪魔した事があります。もちろんそれぞれに、凛とした修行道場の雰囲気が漂うのですが、僧堂によってカラーがあり、瀟洒な感じがそこはかとなく漂う僧堂もあれば、まるで幼い頃に観た映画、ジャッキー・チェンの『酔拳』のごとく、ここは昔の中国か?!と思わされるような僧堂もあります。
各僧堂の雰囲気から、僧堂を束ねる老師の息遣いを感じ取れるような気がして、いやらしいとは思いながらも、きょろきょろと観察をし、色々な事を感じ、一人狂喜乱舞しています。
私の祖父も、とある2つの僧堂で修行をしていましたが、約70年ほど昔の僧堂の写真と、今の僧堂がさして変わりなく在り続ける事にもびっくりさせられます。
季節の話題を…と思いましたのに、話が逸れていました。
建仁寺を訪れて、あまりに芍薬が美しかったので皆様にご紹介を。
僧堂前には、石楠花が植えられ、これもまた美しい花を咲かせていました。
桜が終わって、なんとなく寂しい気もしていましたが、寂しさなんて感じている暇も無いようでした。
四季ある国に生まれた幸せを思います。
余談ですが、私は茶道のお稽古を始めて約9年ほどになります。もちろん“道”の世界で9年なんぞまだまだよちよち歩きの赤子並み…それとも生まれる前の状態?!です。
それでも、有り難いなと思うのは、僧堂のような所を訪れる時はかなり緊張するものですが、茶道をしているとそれなりのわきまえは身に付いているもので、その自信が自分の緊張を少しは和らげてくれるという事です(もちろん禅僧からみればまだまだ至らぬ事だらけで、もしかすると失礼をしてしまっているかもしれません)。
物事を色々と「知っている」・「わきまえている」という事は有り難く、大事な事だな…と思い、茶道から色々な事を教えてもらっているなと感じる今日この頃です。
茶道というと、世間一般では「型にこだわり、煩い決まり事の多い世界」という印象が強く、一人歩きしている感を受けますが、きちんとお稽古を続けると、それだけのものを必ずきちんと与えてくれるものなのだと私は感じています。