志明院 楼門(室町時代の再建)
新たな顔(面)とでもいうのでしょうか……古き都の神髄を見た気がしました。
今まで、京都好きを自称し、普通の人より少しは詳しい?!と思っていましたが、ここを知らずしてよくもそんな風に思っていたなぁ…と、一人恥ずかしくなりました。
雲ケ畑の最奥にある岩屋山志明院(真言宗単立)での護摩會に初めて行かせていただいたのです(4月29日)。
我が実家では、縁あって非常に力を持つとされるこちらの不動尊を信仰しており、毎年お札をいただき、この護摩會にて昨年のお札をお返ししています。
母から素晴らしい所だと聞かされていたものの、なかなか予定が合わずに今まで足を運ぶご縁に恵まれなかった事が悔やまれます。
上賀茂より、細い道をひたすらゆく事約30分。車から降り立った時から既に空気の違いに驚かされ、「このようなところが……」と声になりませんでした。
樹齢100年を越えるといわれる、京都市の天然記念物にも指定されている石楠花は、大地からのパワーで見事に満開。
深山幽谷の世界に、修験の修行や千日回峰行などをされる方が、こういった所で修行を重ね、心身共に極限まで研ぎ澄まされた感覚を持ち、ご自身を高めてゆくのだな…と容易に想像がつくのでした。
これで一本の木です。天然記念物の石楠花。
こちら志明院は、650年に役行者が草創、829年に淳和天皇の御叡願により弘法大師が復興させた古刹であり、日本最古の不動明王顕現の神秘霊峯と言われます。
険しい山中に諸堂が点在しており、岩屋山全体が修験の山岳道場となっているようです。
楼門(一番上の写真)の金剛力士像も、運慶とその実子、甚慶の作とか。岩屋山の扁額の字は小野道風。
本堂に祀られる本尊不動明王は、弘法大師の開眼と伝わります。
本堂から少し登った所には、岩屋の滝が流れ落ち、その上に飛竜権現を祀る祠があります。ここは歌舞伎の演目でも有名な、「鳴神」の、あの鳴神上人が龍神を封じ込めた伝説の場所なのだとか。
こちらの祠を見おろす形でぐるりと山を登っていくと、護摩洞窟があります。役行者、弘法大師、鳴神上人も護摩行の為にこもられたとの事で、現在は不動明王が祀られており、「そこを踏んではダメよ!」と言われた所を見ると、今も行われる護摩焚きの跡がありました。
また、奥院である根本中院には、菅原道真公手彫りと伝わる眼力不動明王が祀られています。
その名の通り、眼の見えなかった子が、両親の願いにより見えるようになった…などという話は数多く伝わるそうです。こちらの眼力さんのお隣には、不動明王立像と、役行者が祀られ、岩清水がわき出でていましたので、ありがたく聖水をいただきました。
岩屋山の水は、古くは天皇家にも献上されたとの事で、飲めば万病に効き、鴨川の源流ともなる事から、天皇や公家からも厚く敬われたとの由。また、その昔、鴨川の水が清浄であるようにと志明院にて祈願もされていたのだとか。昔の日本人の方が“何が大切か”という根本的なものを知っていたのですね。
京都といえば、京料理に和菓子、お酒に友禅、全て根源に豊富な井戸水や湧き水があります。
京都=水、水といえば下鴨神社や上賀茂神社などを思い起こしていましたが、今はあの洞窟奥にあるお不動さんの足もとより出でる清らかな水が深く脳裏に刻み込まれ、私の心身を潤してくれているような気がします。
さて、肝心の護摩について。
修験道にて行なわれる護摩は、火爐を設けてまずは檜の葉を燃やしてから護摩木や私どもがお返ししたお札などを焼きつつ拝むわけですが、これはインドから中国へと伝えられた密教の秘法だそうです。真言宗では、柴燈護摩と言います。
火がつけられる前に、作法に則り、山伏問答、法弓、法剣、法斧、閼伽といった諸作法が行なわれました。興味深かったのは、山伏問答。本当に山伏であるのか、その知識を問うたり、同じ流派の者かを確かめたりする為に護摩段上にあがる前に入り口で問答を行なうのです。
その後、火爐に点火され、般若心経だけは自らも唱えつつ、大きな火柱が上がり、もくもくと煙が出てくる様には、自らが浄化されるような心持ちになりました。さらに護摩會に集まった方々皆でよむお経はことさらに一体感が生まれ、その日に巡り合った名も知らぬ人々の無病息災をも願わずにはいられませんでした。
その後、火渡り(火を落とした後の炭の上を渡ります)が行なわれ、熱い炭の上を歩かせていただきました。歩く前には山伏の1人の方が背中で九字を切り喝を入れてくださるので大丈夫です。私の今年一年の無病息災は約束されました。有り難い事です。
さてさてまだ続きますが、一番最後に、餅投げ(お菓子も)が本堂前にて行なわれるのですが、なんとなく「頑張って拾うのも恥ずかしいなぁ」と思う私の前で、母はきゃっきゃと笑いながら本気で、無心に拾いまくっていました。
その姿は滑稽そのもので、下に落ちたものを拾う時は、まるでどじょうすくいのよう。「これ、うちの母なんです」と、隣の見知らぬ人と爆笑していたのですが、後から、拾った餅やお菓子を楽しそうに皆に配っている母を見て、なぜか「まだまだかなわないなぁ…」と思い知るのでした。
“京都の奥深さ”の奥の奥を垣間見たようで、感動の一日でした。
京都に住んでから一番の感動で、長くなりすぎて申し訳ありません…。
*最近では、人々の信仰心の希薄さからでしょうか、お参りも減って来ているようです。私の実家辺り、神戸周辺からのお参りもとても多かったらしいのですが、震災後めっきり減ったとの事。今に生きるこのような信仰の場が、人々から忘れ去られるのは残念過ぎる気がしました。大いなる力に身を任せ、お助けいただく、お守りいただく、そして信じる事は大切な事です。
*写真&記事掲載につきましては、ご住職の許可を得ております。本来こちらの寺院は楼門より中は撮影禁止です。是非ご自身の眼で見て、体で感じる為にもお参りにおでかけになってみてください。