今年の夏に『明治の禅匠』という書籍を刊行するべく、現在、編集作業をしている。
じつはこの本、私が研究所に入る前、つまり30年ちかく以前に、禅文化研究所から発刊された、明治時代の禅僧や居士の評伝を集めたものである。
研究所の出版事業の魁ともいえる本であるが、絶版になって長らく経つ。
このたび、復刻しようということになり、こうして編集作業をすることになった。
江戸時代末期から明治維新を迎え、また廃仏毀釈にあって数知れぬご苦労をされた老師もおられる。
また、閉じられていた道場を再度開単したり、自らもっこを担って作務をして、新たに道場を開かれた方もおられる。
いち早く海外に目を向けられ、西洋文化との交流をされた老師もおらえる。
かたや、表舞台にはあまり立たれなかったが、淡々と修行を積まれ、綿密に弟子を育てられた老師もある。
たった100年余り前の時代のことであるが、まるで現代の事とは思われず、読んでいると禅匠方の一面目がすごい勢いで心に突き刺さってきて、圧倒されるほどである。
それからこれらの禅匠から接化をうけている当時の修行僧の姿も浮き彫りになってくる。これがまたスゴイ。
「慧可断臂」をまねて、自らの腕を切り落として差し出したという雲水がいたという日単(僧堂の日記)がある。
新参の腕っぷしの強い居士がいて、参禅するなりいきなり老師に殴られたため、いきりたって殴り殺してやろうとまで思うが、その悪辣な手段が老婆心切であるということを別の老師から諭されて、自らを悔い改めて坐禅工夫して、文字通り大死一番の見解を得たという話。
誠にスリリングな話が満載である。
採り上げられている禅匠は、以下のとおり。
越渓守謙・潭海玄昌・洪川宗温・独園承珠・滴水宜牧・南隠全愚・山岡鉄舟・禾山玄皷・鄧州全忠・毒湛匝三・龍淵元碩・黙雷宗淵・洞宗令聡・洪嶽宗演・独山玄義
発刊の暁には、みずからお読み頂ければ幸い。