愚堂禅師の墨蹟取材で九州は大分県と福岡県を訪ねた。
旅先で立ち寄った食堂で、大分名物「やせうま」という食べ物に出会った。
ご存じの方もあるだろうか。
平べったく伸ばしたうどんの麺のようなもの(小麦粉をこねて長く伸ばしゆでたもの)に、黄粉(きなこ)をつけて食べる「おやつ」らしい。食べてみると、もっちりとした麺に、黄粉に混ぜられた砂糖の甘みがあって、子供たちなら病みつきになりそうなものだ。
とまれ、この「やせうま」という名前はなんなんだろうと思って、食べながら携帯でネット検索して調べてみたところ次の様なことであった。
平安時代、藤原鶴清麿という貴族の幼児が豊後の国に下向し黒野(現・由布市狭間町古野)というところに隠れ住んだ。
鶴清麿の世話をする乳母は、「八瀬(やせ)」という女、あるいは、京都の八瀬出身の女だったらしい。
ときおり、八瀬は小麦粉をこね長く伸ばして麺状にして茹でて黄粉をまぶしたものを作って、鶴清麿に食べさせた。鶴清麿はこれを食べたくなった時には、「八瀬、うま」(「うま」は食べ物の幼児語)といったといい、これが「やせうま」の語源だという。
こんなところで、京都の八瀬と出会うことになろうとはと思って、興味深かった。
その後、私の修行時代の先輩のお寺にお邪魔して、この「やせうま」の語源の話をしたところ、その先輩はそうじゃなくて、馬の世話をする馬子が、このおやつを食べたら、おいしくておいしくて夢中になるので、馬の世話を忘れてしまうから、馬がやせこけてしまう。だから「やせうま」というのだと聞いていると教えてくれた。
まぁいろいろな説があるのだろうが。
そういえば、八瀬と言えば京都の市街地から外れた山村だが、そのとなりの静原とともに、宮中の行列には重要な役を任される人達が住んでいたところだとか、何かの本で読んだ記憶もあり、八瀬出身の女性が、若君を連れて豊後に逃げてきたという話も、有り得そうな話だ。
しかし、現代の子供がこれを食べて喜ぶのかどうか、残念ながら、それは甚だ疑問。