-応無所住、而生其心- えしん先生の禅語教室 その7

三室戸寺のあじさい

-応無所住、而生其心 おうむしょじゅう にしょうごしん-
今回は、禅宗が大事にしている『金剛経』の中の、「応無所住而生其心」という一句について勉強しましょう。難しい漢字の行列ですが、「応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし」と読みくだします。
達磨はインドから『四巻楞伽経』を伝えたと言われるところから、初め禅宗は「楞伽(りょうが)宗」と呼ばれたのですが、六祖慧能(えのう)の時から、『楞伽経』に代わって『金剛経』が重視されるようになります。つまり中国禅宗は六祖のとき、インド以来の「坐禅中心主義」から脱皮して、中国独特の「智慧第一主義」としてインドの静寂主義から独立したのです。『金剛経』は文字通り、ダイアモンドのように固くて燦然と光る「般若の智慧」を説いた、般若経典群中の白眉であり、臨済宗では現在でもこれを日常的に読誦しています。
法事の席である和尚さんが、この御経文の意味を説かれますと、聴いていたお婆さんが、「いままで大麦小麦二升五合」と覚えて有り難がっていたのに、和尚さんの説明を聴いたらさっぱり有り難くなくなりましたと言われた話を、子供の頃に聞いたことがあります。お経というものは余りあれこれ詮索せず、一心に読誦するほうが看経の功徳があるという話なんですね。


ところで六祖慧能大師と仰がれる禅僧は若いとき、母を助けて薪を売っては生計を立てていたのですが、ある日街に薪を売りに出たとき、どこからともなく聞こえてくる『金剛経』のこの一文に驚き、それが機縁になってお坊さんになったと伝えられています。もちろんこのエピソードは、後になって六祖の弟子たちが担ぎあげるために捏造したフィクションに過ぎませんが、それほどにこの経文の一句は、禅の教えを的確に説いたものとされたわけです。
禅宗は「仏心(ぶっしん)宗」と言われ、お釈迦様の心すなわち「仏心」を、祖師から祖師へと以心伝心してきた仏教の一派ですから、「心とは何か」ということこそ修行者の中心課題でなければなりません。その答えの一つがここに示されているのです。
心というものは私たち一人ひとりにとって大切なものですが、さてその心を掴(つか)もうとしてもどこにもないのですね。それじゃ私たちが持っている心というものはどんなものかということになります。「いかなるか是れ、祖師西来(そしせいらい)の意」という、初心の修行者に向けて掛けられる質問がそれです。
『金剛経』によると、「心というものはどこかにじっとして在るものではない。それは一瞬々々に生じては滅し、滅しては生じるものである」と言うのです。常にコロコロと動いているからこころと言うのだという俗説の通りです。心は蓮の葉っぱの上に転がる露の玉のように、空の青や花の紅、あるいは雲の白などとともに、つねに自分の色を替えていくものですから、古人は心を「個個露」などと書き換えています。面白い発想ですね
「年毎に 咲くや吉野の 山桜 木を割りて見よ 花のありかを」という古歌もありますよ。あのように豪華絢爛として咲く吉野の山桜も、その種がどこにあるかと探してみても何もない。有るのはただ縁によって一瞬一瞬結ばれる「無常の相」だけであるという意味でしょう。それが心というものの本質です。禅はその眼に見えない「縁」を見抜くのであり、その心を「禅心」などと呼んでいます。『金剛経』の説く般若の智慧を大切にするゆえんです。