九州での愚堂禅師の墨蹟写真の撮影を終えた帰り、高速道路が日曜祝日1000円であることをいいことに、少々寄り道をして、山口市にある名刹・洞春寺に立ち寄った。
ここは、南禅寺僧堂師家の清光軒・日下元精老師が住持となっている、建仁寺派の寺院である。
ここは毛利元就の菩提寺としても有名で、山門は、洞春寺の前身である国清寺当時からのものであるとか。
以前にこの洞春寺蔵の嘯岳鼎虎禅師手沢本『山谷詩抄』の影印本を、依頼を受けて制作させてもらったことがあり、どんなお寺なんだろうと思っていたから、幸いの機会である。
嘯岳鼎虎禅師(1528~1599)という方は、この洞春寺の開山であり、もともと博多の人であった。明国入ること二度で各地の名師に歴参され、永禄三年(1560)に帰朝されたという。のちに、建仁寺や南禅寺にも住持されている。そして、毛利元就は禅師に参禅し、この寺を創建するに到るのである。
この開山禅師自らの自筆の抄物という点で非常に貴重な資料である。
ちなみに、山谷詩は、禅僧の中で親しく読まれてきた詩集であるが、双璧となる蘇東坡の詩集と比べると、意外に研究書や解説書が少ないため、そういった意味でも、学識ある禅僧の自筆本として重要な書籍である。
さて、この洞春寺境内に入ると、美しい観音堂があった。聖観世音菩薩が祀られているということだが、秘仏のようで厨子は閉じられていたが、そのお堂は小振りながらも、とても美しい形だった。
本堂の正面が少しだけ開けられていたので覗いてみると、なんと本堂内に燕の巣が3つほどあり、小さな雛が黄色い觜を覗かせていた。畳が糞で大変だろうが、大変大らかなことだと思った。
この洞春寺の境内には児童養護施設・山口育児院がある。今から4代前の和尚が日露戦争の戦災孤児救済のために創られた孤児院で、今も現住職の日下老師が理事長で、京都と行き来されて運営されていると聞く。
本堂の畳が糞に汚されるということなど、小さな命を守るという点では、この孤児院と通じる洞春寺の家風なのかもしれない。