テレビが故障して4ヶ月近くになる。新しいのを買うつもりだったが、テレビがないことで生活に何の支障もないことに気づいてそのままにしてある。我が家では、TV受像機はDVDやビデオの再生装置でしかなかったようだ。
私の子ども時代は、居間の一台のテレビを家族揃って見るという、今考えれば信じられないような文字通りレトロな日々だった。しかし、そんな日々が懐かしくてよかったなんてちっとも思わない。みんなで揃って見たテレビのコンテンツで感動したなんて記憶がほとんどないからだ。
最近の博報堂DYメディアパートナーズの調査では、二十代男性のPCインターネット利用時間がTVの利用時間を抜いたという。十代・三十代男性においても携帯及びPCインターネットの利用時間がTVの視聴時間とほとんど差がなくなってきているらしい。
これは十分納得できる調査結果だなと思う。というのは、私のような若くない機械オンチでも、帰宅してまずスイッチを入れるのは、テレビではなくパソコンだからだ。大抵のニュースはインターネットで把握しているし、調べ物は圧倒的にこのお蔭を被っている。少し前までは、インターネットの情報はいい加減だとずいぶん言われたものだが、今では信頼できる情報も無尽蔵だ。
動画にしても、最近ちょっと充実してきている。画質はともかく見たい画像が瞬時に取り出せるなんて、かなり嬉しいできごとだ。TVコンテンツの劣化がますます進んで、安直なバラエティ番組や低級なドラマばかりということになれば、大衆もスポンサーも離れてゆくだろう。TVの未来なんてひどく暗いような気がする。
しかしこれはわれわれの未来が暗いということではけっしてないと思う。
受け身なTVの視聴から、もっと能動的なネットの利用に移行するほうが、社会への関わりという意味において個々人の主体性は増すだろう。自らが情報発信者になれば、確実に頭を使わなくてはならないし、情報を読む各人が、さまざまな出来事に対して真実を見極める目を培うことが、好むと好まざるとに拘わらず要求されることになるからだ。
情報のアウト・プットもひっくり返るほど簡便だ。たとえば個人のつぶやき(ブログ)の大衆へのリーチ(到達度)が、こんなに広汎でスピーディなものになるなんてだれが予測できただろう。一個人が直接世界に声を発することができるやりかたとしては圧倒的だ。この流れは間違いなくもっともっと加速するだろう。
テレビが壊れて、ちょっと考えさせられる日々なのである。