とある日、自転車での買い物帰りにいつもは通らない道を通っていると、老禅尼と禅尼が手をつないでご自坊を外から眺めて(何かを点検!?)おられた。
老禅尼がお歳を召されており、お御足の事もあるのかもしれないが、ぎゅっと手を握りあったそのお二人の後ろ姿があまりにも慈悲深く微笑ましく、また、「はて、代々尼さんという事はもしや尼門跡寺院だろうか……」と、通りすぎてから自転車を引き返した。
-寳慈院、旧千代野御所-
樹下山(じゅげざん)と号し、「千代野御所」と称する尼門跡寺院の一つで、無外如(むげにょ)大尼によって創建された景愛尼寺の支院である。寺号は、はじめ資樹院と称したが、応仁の乱の後、宝慈院と改められた。
光巌天皇皇女華林恵厳(かりんえごん)尼が住持のとき、如大尼の幼名千代野姫に因んで「千代野御所」と号し、紫衣を許された。これ以後当院の住持は、皇族、あるいは公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つに列した。
本堂は天明8年(1788)の大火後の再建。収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれる。脇壇には仏光国師像と無外如大坐像(重要文化財)をまつる。上京区衣棚町通寺ノ内上る下木下町。
〈京都市観光文化情報システムより〉
今一度、時間のある時にゆっくりと訪れてみたいと思う。