-説似一物即不中- えしん先生の禅語教室 その9

惠信先生の禅語教室

-説似一物即不中 せつじいちもつ、そくふちゅう-
今回の禅語は南岳懐讓(なんがくえじょう)が、六祖慧能を訪ねて行ったとき、南岳が六祖に向かって吐いた、有名な一句です。
南岳ははじめ嵩山(すうざん)の安和尚について禅門を敲き、坐禅に勤しんで禅僧としての見識を身につけてから、天下に聞こえた曹谿の六祖慧能大師を訪ねて来たのです。六祖は南岳の顔を見るや、「お前さんはどこからやってきなさったのか」と訊ねました。「はい、嵩山からやってきました。」
嵩山はインドからやってきたダルマが、九年間坐り続けたあの拳法で有名な「少林寺」です。嵩山からやって来たということは、南岳にとっては一種の矜恃だったでしょう。しかし六祖は必ずしもそのような道場の場所を尋ねたのではないでしょう。禅問答はそんな単純なものではないのです。日常的な挨拶の中に毒矢が籠められているのです。
それはちょうど、『維摩経』菩薩品に出てくる次の話と同じでしょう。昔インドで、光厳童子という仏弟子が、路上で維摩居士に出会い、「どちらからお出でになりましたか」と聞くと、維摩が「道場から来た」と言われた。「道場とはどこですか」と尋ねると維摩が、「直心是れ道場」と答えられたという、あの話です。自分が自分にピタリと「直接」していることこそ「道場」だというのです。


ところが南岳は正直に嵩山からやってきた、と言ってしまったのです。これは不合格。そこで六祖は、「いったい何者が、ノコノコとこんなところまでやって来たんだ」と、油断のならない質問をされたのです。原文は「什麼物か恁麼に来たる」(なにものか、いんもにきたる)です。「什麼」も「恁麼」も禅録によく出てくる疑問を示す南中国の俗語。
そのとき南岳が言った答えが「説似一物即不中」です。「ちょっとでも言葉で説明したら、途端に外れてしまいます」という意味になります。いったい誰がウロウロとこんなところに迷い込んだのだという六祖の問いは、その時、その場に立っている南岳青年の全人格の有り様を、ズバリ問うているのです。
それに対して、「この自分を説明することばはありません」と返したのは、いちおう合格と言うべきです。インドから中国へやってきたダルマに、梁の武帝が「私の前に立って居るそなたは誰ですか」と尋ねたとき、ダルマは「不識」(ふしき)と答えたのと同じですね。自分というものを知ることはできない筈です。「眼は眼を見ず」と言うように、自分で自分を知ることは本当は出来ないのです。
私たちは、あなたは誰ですかと聞かれると、すぐにペラペラと自分の紹介をしますが、それは鏡に映った自分の姿を知っているだけで、こちら側の本当の自分ではないのです。ただ意識を通して知っている自分、つまり「意識的自己」に過ぎないのです。
本当の自分は意識を通して知る以前の「肉の塊」なんです。夜ベッドで眠っているときのような、ゴロンとしたこの塊ですね。しかしそれこそが他人に一歩も踏み込ませない本当の自分です。説明したらもうおしまいです。途端に自己という「事実」から離れてしまうのです。
母の胎内からこの世に出てきて、棺桶に入れてもらうまで持ち続けるひとときのこの身体。それは「自己」とか「私」などというような抽象的な幻想ではない。ただ一瞬一瞬を周りの世界を受け入れつつ、それを自分の内容として生きている自分こそ、「本来の面目」(真実の自己)というものではないか。
いろいろな解釈があるのでしょうが、私は「説似一物即不中」をそのように、即今只今のこの自分自身のこととして受け止めていますが、皆さんはどう解釈されますか。