外に求むること莫かれ -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-

愚堂禅師の墨蹟撮影に東京へ出張した。
東京は関東大震災と太平洋戦争での大空襲におそわれて消失した寺院が多く、古くからの資料が残るところは少ないようだ。
今回撮影にいった墨蹟も、おそらく戦後に買い求められて所蔵されているものだと思われる。


愚堂東寔書・莫外求(禁転載)

「莫外求」(外に求むること莫かれ)、横物三文字である。愚堂禅師の墨蹟の中では他に見た事が無い。そもそも愚堂禅師の書で、このように3文字の禅語が書かれているものは稀少である。
書き方も面白い。「外」の縦棒はうねうねと書かれ、「求」の右側の払いの二画は×のように交差して書かれている。
出典は、臨済禅師の言葉で、「菴黴€要與祖佛不別、但莫外求」であろう。臨済録の示衆に出る。
この部分、山田無文老師の『臨済録』から引用してみよう。
  菴黴€、祖仏と別ならざんと要せば、但だ外に求むること莫かれ
 釈迦、達磨と少しも変わらない真の世界、法身の世界、永遠の仏になろうと思うならば、永遠の命が欲しいと思うのならば、神仏とともに永遠に生きようと思うのならば、自分の外に仏や涅槃という結構なものがあるなぞと思うな。自分の外に永遠のものがあるとするならば、自分とその世界とが対立であるから、それは永遠のものではない。人間の外に神さまがあるというのならば、神も人間と対立だ。絶対ではない。外に神仏を求めてはいかん。(山田無文著『臨済録』)
 いつも、無い物ねだりして、よそに求めている我が身には、きつい大きな一言である。