古墨跡は縁のある人を集めるのか

本ブログで、愚堂東寔書「雲門云関」という記事を書いたのは、今年(2009)4月24日のことだった。
それからちょうど3ヶ月して、研究所の私に一本の電話がかかってきた。
それは、インターネット検索していて、たまたま上記ブログをみつけたというある方からの電話だった。
「その軸はうちにございます」というものだった。私は声がうわずるほど興奮した。
まずは先のブログを読んで頂きたいのだが、その後、できる限りの手を尽くしてツテをたどったが、結局どれも行き詰まってしまい、あとは、いつか、このブログを誰かが見つけてくれたら幸いだと思って、最後の布石として書いたのだった。
そしてこの電話である。
所蔵者は京都市内のとある骨董商、意外にも近くにあったのだ。撮影許可のお願いをしたところ、主旨もご理解いただきご快諾いただけた。
そこで先日、都合をつけていただき、写真撮影に寄せていただいた次第。それが下記の写真である。



愚堂東寔書「雲門云関」

何年も出会えなかった墨蹟に、このブログに書いたお蔭で出会えたのである。
力強い愚堂禅師の書にひかれるとともに、ご縁の不思議さを感じていた。函の中には、探し求めていた吉井清三さんが宛名に書かれた封筒まで入っていた。
現所蔵者は、もともと書画が専門ではなかったが、最近、亡きご尊父が大切にされていた軸に見入られるようになり、それらの軸に書かれている言葉などを自ら学ぼうとされていた。そして、雲門の「関」という言葉を調べようと、ネットで検索したら「ブログ禅」にヒットしたということ。
所蔵者のご母堂は私の父のこともよくご存じであったため、どんどんと話は繋がる。
私たちが熱く話しているそこへ、ある東洋思想研究家が訪ねてみえた。2~3時間ほど前に連絡があって、今からいくよということで、たまたまお見えになることになったらしいのだが、なんと、この先生は、この愚堂禅師「関」の旧蔵者である故・吉井清三さんをよく知っておられたのだ。
というより、吉井清三さんに、自らのコレクションを載せる『近世高僧遺墨集』という図録を作るように奨めたのは私であるともおっしゃるのである。
あまりにも驚くべきではないか、不思議ではないか。
あれほど探していたことが、文字通り一気に氷解したのである。
素晴らしい古墨跡は人を集めるのか。
不思議な縁で繋がっているとしか思えない。
縁というものは仏教で大切にしていることである。
縁に従って縁に生かされているのだということを、実体験として感じた日であった。
まもなくお盆。自分に繋がる縁、ご先祖に感謝する日々をたいせつに送ろうと思う。皆さんも、どうかご精進を。
※禅文化研究所は8月8日(土)から16日(日)まで、夏季休業をいたします。その間ブログもおやすみをいただきます。その間にコメントなどいただきました場合、公開が遅れるかもしれませんが、なにとぞご了承ください。