5年くらい前になるだろうか、片方の耳が少し聴こえにくくなって耳鼻科に通ったりしたが、パッとしない。鍼灸師の友人が、耳のコリからくるものかもしれないから、鍼をしてみたら、と助言してくれた。そして「鍼灸の施療ほど、実力の違いが如実に顕われるものはないから、鍼灸師を選ぶときにはよほど慎重に。私がとても尊敬している鍼灸師さんがいるので紹介してあげよう」と言ってくれた。
四条河原町から阪急電車に乗って、紹介された鍼灸師さんを訪ねた。「耳がちょっと聴こえにくいので」とだけ、予約のときにお伝えしておいた。
私が診察室に入るなり、先生は「左耳ですね」と言われた。ちょっとビックリした。左耳を中心に鍼をしてもらっておいとました。すごくビックリしたのは四条河原町に帰り着いたときだった。ここはこんなに騒がしい場所だったのかとあらためて思ったのだった。耳はとてもよく聴こえるようになっていた。
すっかり先生のファンになってしまった私は、それから毎週予約を入れた。先生はいわゆる「ツボ」には鍼を打たない。その折、その折の患者のコリを目で追って、ピタリとそこに鍼を打つのだ。まるで神業なので、聞いてみた。「どうしてコリが見えるのですか?」。「最初からこんなふうにわかったわけではないですよ。患者さんに鍼を打っているうちに、コリの箇所に私の肘の内側がビンビンと感じ始めたのです。コリが私を呼ぶんですねえ。アハハ」と。それから、だんだん見ただけで人のコリがわかるようになったのだという。
「先生は天才ですね」と感嘆する私に、先生は「いや、最初は本当に何もわかりませんでしたが、ただカムシャラに自分や患者さんに鍼を打ち続けた結果です。だから誰でもわかるようになります、やっていたら」。私の左耳のこりの発見も、先生にとってはごく「普通のこと」だったのだ。
それで、友人の鍼灸師に「コリって見てわかるようになるものなの」と聞いてみたら、「いやそんなことがわかるのはあの先生くらいのものだ」という答えが返ってきた。
先生は患者の、特にコリのきつい部分(誰にでも小さなコリは無数にあるのだそうだ)に集中的に鍼をするから、非常に効果が上がる。私の父などは、原因不明の咳が止まらなくて、一年ほど医者の薬を飲み続け、食欲もなくなってどうなることかと思っていたが、一回目の鍼治療で咳がピタリと止まってしまった。その日のうちに以前のように食事が取れるようになった父は、「先生はいのちの恩人だぁ」と先生の信者になってしまった。その気持ちはよくわかる。医者に通ってもちっともよくならなかった不具合が、魔法のように消えてしまったら、誰だって「ああ、ありがたや」と連発したくなるだろう。
先生にそう言ったら、先生は別に驚いたふうもなかった。「私はね、職人なんですよ。理論はともかく、知りたいのは鍼で人がどんなに楽になるのかということだけです」。
ごく近い将来、人間ドックなどでの検査結果を入力すれば、病気の診断をして、治療法――どんな薬をどれだけ服用するかなど――を提示してくれるソフトが出回るようになることだろう。そのとき、理論と実際の「間」を診る職人の技をもたない医療関係者は一体どういうことになってゆくのだろう。
確実に人の苦しみを軽減して始めて、真の癒し人と言われるのだろう。
私が秘かに「究極の鍼灸師さん」とお呼びする先生は、今77歳で、診療技術は円熟の極みだと思うが、新規の患者さんはもう一切おことわりしておられる。「(老いるに従って)前よりもっと私自身に鍼を打つ時間が必要ですから」と。
本当にいいときにお出会いできたものだと、希有な御縁に感謝することしきりである。