山本玄峰老師のこと 2


四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺


雪蹊寺境内

高知県高知市にある、四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺(臨済宗妙心寺派)である。桂浜にほどちかい、このお寺を旅の途中で訪ねた。もともと真言宗であったが廃寺となり、戦国時代に四国全域を治めた長宗我部元親の手によって臨済宗の寺院として復興され、長宗我部元親の菩提寺となった。
今年のお正月に、和歌山にある山本玄峰老師の生誕の地を訪ねた事について、このブログで書いた。
この同じ年に、今度は玄峰老師の得度の寺を訪ねることができた。
前のブログでも書いたとおり、老師は和歌山県に生まれ育ったのだが、青年期に失明し、眼が光を失った。それを憂えて死に場所を求め、四国八十八カ所の遍路を歩かれたという。
七度目の遍路の途中、三十三番・雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを、当時の住職であった山本太玄和尚に助けられ、下男として働く内に得度を受け出家されたのである。

山本太玄和尚の塔

出家の後、修行を重ねられて、松蔭寺や龍澤寺などの白隠道場を復興されることになる。
そのため、弘法大師にたいするご恩を忘れられず、生涯にわたって、さらに四国遍路を繰り返され、その数は17回にも及んだという。
雪蹊寺の山門を入ったすぐ左に、上の太玄和尚の塔があり、そのすぐ隣に、山本玄峰老師のブロンズ塔と、その孫弟子にあたる鈴木宗忠老師(私の僧堂時代の師匠)のブロンズ塔が建てられていた。
実はこのブロンズ像の寄贈者は、W氏という方で、龍澤寺で修行した縁のある私たちのお寺にも、玄峰老師と宗忠老師のブロンズ像をご寄贈いただいている篤信家である。

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お寺の参拝を終えた後、桂浜へ向かう途中、雪蹊寺を菩提寺とする長宗我部元親の墓地があるという標識を見つけたので、これもご縁とお参りしてきた。


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旅をするとき、ふと見つけた旧跡などを訪ねるのは、とても楽しい。