夏休みの終わりに、かの良寛さんの地、新潟県は寺泊にほどちかい、国上寺・五合庵を訪ねてきた。
良寛さんというと、曹洞宗の僧侶で、子供が好きで、かくれんぼをして皆が帰ったのにも気付かず、ずっと朝まで隠れていたとか、軒先を突き破って伸びてきた筍のために板を外したりして伸びられるようにしたといった、やさしいやさしい逸話が有名だ。
ただ、良寛さんの像は、どれも何か厳しい顔をしていて、子供たちに優しかったというイメージと違うように感じてしまうのは、私だけだろうか。
とまれ、この良寛さんは、岡山県は玉島(倉敷市)の円通寺で修行をした後に、各地の名僧を訪ね歩き、新潟にもどって、約20年、五合庵に住まいしたという。
この五合庵という庵は、真言宗の国上寺という越後最古の古刹の境内地にある小さな庵だ。まずは国上寺へとお参りした。
国上寺は、もともと近くの弥彦神社の大明神のご託宣によって今から1300年前に建立された、修験道の場だったようだ。その後、転宗を繰り返し、今は、真言宗豊山派となったようだ。
この本堂屋根は茅葺きだったのだろうが、今はその回りをトタンが覆っているのは少々残念。
本尊は行基菩薩作の阿弥陀如来像で秘仏であるらしい。
境内には六角堂や大師堂、良寛禅師の像もある。方丈講堂には聖徳太子の作とされる千手観音が安置されていた(秘仏にあらず)。
さらに、弘法大師因縁の、五鈷掛の松があった。これは、唐の国からの帰りに投げた三鈷五鈷が、三鈷は高野山に、五鈷はこの国上山の松にかかったという伝説の松である。
<つづく>
『良寛和尚逸話選』(禅文化研究所発行)