師匠について -八幡・圓福僧堂-

神月徹宗老師の墓

愚堂(ぐどう)国師の墨蹟撮影の為、京都府八幡市にある圓福僧堂を訪れました。
こちらの僧堂は、私の祖父が若かりし頃に修行をしていた僧堂です。
私が生まれる前に亡くなった祖父の事については、彼に反発していた父(寺は継いでいません)からはさほど多くを聞く事もなく、二十代になった頃からでしょうか、漸くぽつぽつ色々と話を聞くようになり、修行時代の写真を見たりするようになりました。
その頃ちょうど、禅とは切っても切り離せない世界である“茶道”のお稽古を始めた私にとっては、“禅の修行”というと雲の上の憧れのような世界。写真を見るだけで気持ちがひきしまるようで、喜々として祖父の修行時代の写真を眺めては興奮し、「若い女の子にしては変わっている……」と母は嫌な顔をしたものでした。
祖父は僧堂時代の写真を並べたアルバムの中に、誰かとてつもなく偉そうなお坊さんの写真とお墓の写真を、さも大切な方のものなのでしょう……1ページに1枚ずつ貼りつけていました。
後から祖父の書き残したものを調べていてわかったのですが、ある僧堂から転錫(てんしゃく・僧堂を変わる事)して圓福僧堂に赴き、そこで教えを請うたのが、その大切そうな写真の人、神月徹宗(こうづき・てっしゅう)老師だったのでした。
前の僧堂での老師の事には全く触れず、徹宗老師の事のみ触れてある書き残しと、写真の残し方を見ると、祖父もなかなかに激しい人だなぁ……と思いながらも、自分にその祖父の血が流れているのがよくわかります。
写真を眺めていると、よほど徹宗老師への思い入れが強く、師匠として心底崇めていたのであろうと思います。
私にも人生の師と心底仰ぐ人が、2人います。大学のゼミ担当教授(季刊誌『禅文化』に寄稿いただいている松田高志先生)と茶道の師です。人生において、素晴らしい師匠に出会う喜びを若くして知っている事はとても恵まれている事で、祖父が修行当時のみならず、老師が亡くなられてからも心底師を慕った気持ちが、今の私にはよくわかります。
縁あって研究所でお仕事をさせていただき、圓福僧堂を訪れ、祖父の師の墓へお参りさせていただける事にしみじみと有難みを感じた一日でした。