今年の中秋の名月は十月六日とのことである。
そう言われて始めて気付くということは、月の満ち欠けは私の普段の生活に、もはやほとんど関係がないものとなってしまっていることを示している。
多くの現代人にとっても、この状況は同じであろう。
これは、明治になって旧暦から新暦に移行したことと大きく関わっている。
旧暦は十五日には満月、一日には新月となるように組み立てられている。
太陽暦では、十五夜という語は意味をなさない。
日本の旧暦は陰暦(太陰暦)の一種であるが、正確に言うと太陰太陽暦の一種である。太陽暦が太陽の運行のみを考慮して構成されているのに対して、太陰太陽暦は太陽と月(太陰)双方の運行を考慮して作られた暦である。日本は中国の太陰太陽暦の作り方を学んで自らの暦としていた。
太陰太陽暦は、もともと合致しない地球の公転周期と月の公転周期を、複雑な天文学・数学の知識を駆使し、苦心してリンクさせ作られた人類の智慧の偉大な成果と言うべきものである。
中国の太陰太陽暦の思想的背景には、日(太陽)・月(太陰)・星の運行を正確に把握し、天地自然の推移に則った生活規範を民に示すという、皇帝の重要な役割に対する認識があった。旧暦は、当時の天文学・数学の知識を総動員して組み立てられた、壮大な宇宙論そのものであると言ってもよい。
太陽暦が採用されて、カレンダーは使いやすいシンプルになものとなった。現代のカレンダーからは、月の満ち欠けという現代生活に不要なものは排除されている。しかし、自然と人間とのかかわりという観点から考えると、旧暦とともに失われたものは余りにも大きい。
(T.F Wrote)