10月4日、晴れ渡る空のもと、名水汲み上げの儀に始まった毎年恒例の宇治茶まつり。
今年は最も尊敬する茶人、堀内宗心宗匠がお献茶をされるとの事ででかけてきました。
この宇治茶まつり、中国から茶の種を持ち帰った栄西禅師(ようさいぜんじ)と、栂尾でその茶の種を栽培した明恵上人(みょうえしょうにん)、そして千利休の3人の茶祖・茶道の先覚者の霊を祀り、茶を献じます。また併せて、茶の史跡保存と宇治茶の振興を図るために、毎年10月上旬に宇治橋周辺で行なわれるお祭です。
献茶は堀内宗心宗匠、その後の法要は建仁寺から管長・小堀泰巌老師らがお見えになり、曹洞宗興聖寺(こうしょうじ)にて執り行なわれます。
献茶式でいつも思うのは、非常に無礼な茶人の多い事です。家元や宗匠方のお献茶が終われば、いそいそと茶席へでかけてしまいます。お点前さへ拝見すれば、そのあとの法要は自分達には関係ない…とでもいうように……。これは3人の先駆者にも、宗匠方にも、老師方にも非常に失礼な事です。
何の為の献茶か改めて考えるべきだといつも思いながらも、所詮人間とはそういうものなのかもな…とも思ったり、半ば諦めの境地で興ざめなお茶人さん達を見ています。
うかうかと 暮らすようでも 瓢邁桙フ 胸のあたりに しめくくりあり『大綱遺詠』瓢画賛写 堀内宗心宗匠
と不満ばかり書いてしまいましたが、それもこれも自分次第。
献茶で先人に感謝し、茶会で亭主の心を感じ、季節の道具や菓子、そして一服いただくお茶で清められ、やはり茶の湯とは人生にとってなくてはならないものだなぁ……としみじみ思うのでした。