二十年振りに親友に会った。二年前に小学校の教師を退職して、大阪にひとりで暮らしている。京都駅の中央改札口で待ち合わせをした。彼はまるで森のなかに一人でいるように、雑踏の改札口に、しんと佇んでいた。昼食を一緒にした。料理が運ばれてきたとき、彼は、「たった一人で心が餓えていると猛烈な食欲が出てくるものだ」と言った。そう言いながら彼はゆっくりと静かに食べた。貪っているのはむしろ私の方だったので可笑しかった。
どんな生活をしているのか尋ねると、彼はとても簡単に答えた。「朝起きて散歩をして朝食を取り、坐禅をして昼食をとり、坐禅をして夕食を取り、坐禅をして寝る」。一週間に二度ほどスーパーに買い物に行って、レジで「ありがとう」と言う。一週間に二回のありがとう。彼が人に話をするのはそれだけのようだった。会って三十分ほど経ったとき、この二年間でこんなに話をしたのは初めてだ、と彼は言った。
彼は私に、久松真一博士の「基本的公案―どうしてもいけなければどうするか」を、どんなふうに工夫しているかと尋ねた。私は困ってしまった。久しい前から「基本的公案」は棚上げしていた。とりあえず、「定」に入れば、公案はおのずと解けると思っていたのだ。彼はずっと持ち続けているようだった。彼は言った、「貴方に会うことになったとき、困ったなあと思った。ぼくはまったく前に進んでいないから」。私は心のなかで、「前に進んでいないというあなたの〈我(が)〉を私はどうしても捕まえることができない」と思っていた。
彼はとても温かだった。こんな温かさを現成できる人を私はあまり知らない。
以前から、彼が教師としてどれほど卓越していたかを知っていたから、学校のことをいろいろ尋ねてみた。国語の詩の授業。彼は生徒たちに詩を読ませて、「その詩のなかのどんな言葉でもいい、それについて自分が感じたこと、思い出、なんでもいいから書いてごらん」と言うのだそうだ。そうすると、生徒たちはまちがいなく全員、びっくりするほどたくさんのことを書くそうだ。生徒たちは今度はグループに別れて、それぞれが書いたことをみんなでまとめて、グループ毎に報告する。彼はそれからみんなに聞くのだそうだ、「君らにはこの詩から思い浮かぶことがこんなにあった。この詩を書いた人には、どんな思いがあったのだろうね」。子どもたちはみんな「詩」が面白いと言うという。こんな授業を受けて落ちこぼれるのは大層難しいことだろうなと思った。幼いときにこんな先生に出会えた子どもたちの幸運を思う。
正午に出会って、夜の八時に京都駅で別れた。瞬時のような気がした。それから今に至るまで、私の頭のなかを、「億劫相別れて、須臾も離れず、尽日相対して刹那も対せず」という言葉が駆け巡っている。私は一体だれと会っていたのだろう。
かつてスティーブン・アンティノフ氏が「内なる深淵に呑まれて」(禅文化148号・150号)という優れたエッセイを書いた。
わが「友」は、そこに登場する「片岡さん」である。