研究所の近く、旧竜翔寺跡にある後鳥羽天皇皇女礼子内親王(嘉陽門院・かようもんいん)の墓。宮内庁管理の兆域内に遐かに石造五輪塔が拝される。
嘉陽門院礼子内親王は後鳥羽天皇の第三皇女、賀茂斎院に卜定されるが、礼子内親王を最後として賀茂斎院は廃絶した。父帝配流後も京に残ったらしい。文永十年八月二日崩、寿七十三。
竜翔寺は嘉陽門院の崩御より後、後宇多天皇によって南浦紹明(大応国師)寂後に国師を開山として建立。室町時代は十刹の第十位ともなっている。
女王の墓がこの地にある由来はよく分からないが、『雍州府志』にはすでに記載があるので、当時より何らかの記録や伝承が存在したのであろう。
近くには後宇多天皇御髪塔および大応国師普光塔の覆屋もある。