先週、嵐山から化野の念仏寺まで、ちょっと歩いてみました。最近の寒さもあってか、まだ時期が早いようでも、山は粧いをはじめていました。これから、もっと艶やかになるのでしょう。
「化野」は「あだしの」と読みます。ここは古来より鳥辺野、蓮台野ともに葬送の地とされていたとのことです。
寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、弘法大師によって五智山如来寺を開創されたのが始まりとのことです。その後、鎌倉時代に法然上人の念仏道場となり、真言宗を浄土宗に改め、華西山東漸院念仏寺と称するようになったとのことです。
中に入ると、目の前には賽の河原になぞらえて名付けられたという、「西院の河原」と呼ばれる無数の石塔群が広がります。これらの石仏・石塔は、往古化野の一帯に葬られた人びとのお墓で、長い歳月を経て無縁仏となって、化野の山野に散乱・埋没していたものを、これらを供養するために集められたとのことです。
そのうち、ある朽ちた石仏を見て、ふと考えさせられました。風葬から土葬へ、それから火葬へと葬り方は変わってきたけれども、生命のとらえ方、別離の悲しみはどうでしょう。
「あだし野の露消ゆるときなく……」とは吉田兼好の『徒然草』の一節。「誰とても 留まるべきかは あだし野の 草の葉毎に すがる白露」とは西行法師、「暮るる間も 待つべき世かは あだし野の 末葉の露に 嵐たつなり」とは式子内親王の歌。はい、筆者なりにでも、一所懸命に思惟することにします。無常の風が吹く前に。