先日紹介した嘉陽門院墓から北約100メートルの所にあるのが後宇多天皇御髪塔である。ここも宮内庁の管理。周辺の通路は大変狭隘で参拝には不便。塀と覆屋によって保護されており、外から内部を伺うことは出来ないが、文献によると大応国師の普光塔もあるとのこと。
後宇多天皇の遺骨は北嵯峨の蓮華峰寺陵に葬られ、今でもそこが本陵であるが、遺髪が竜翔寺の大応塔の傍らに納められた。竜翔寺は応仁の乱ころに荒廃して大徳寺内に移されたが、大応塔はこの地に残り、明治中頃まで竜翔寺輪住の僧によって毎年七月の諷経が続けられたという。