大護摩會 -岩屋山 志明院- 京都市北区


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昨年初めて訪れて衝撃を受けた京都市北区・雲ケ畑にある志明院の大護摩会。
本年もありがたい事にお参りさせていただく機会を得ました(4月29日)。
詳しい説明は昨年の記事をご覧いただくとして、本年も訪れて得た感想を。
禅の世界でも、“今”を生きる事を大切にします。そして己というものを明らかにしてゆく……。でも、なかなかに我々は日々の雑事に心奪われたり、煩悩にまどわされ、“今”を大切に生きていられない事があります。
そんな中、節目節目にある様々な行事は、自らを悔い改めるのにとても良い機会を与えてくれます。
私にとってはこの大護摩會もその一つ。お正月を終え、節分を終え、お彼岸を終え、桜が終わる頃、昨年こちらでいただいたお札を焚き、その後の炭の上を渡り、一年の無病息災を願う。
もくもくと燃える護摩焚きの炎や煙を見ていると、自然と「1年護られていたなぁ。あ
りがたいなぁ」というような気持ちが湧き、世界の人々の平和と安心をも願わずにはいられません。また、自身に例え大変な事があった年であっても、「ありがたいな」と心底思えるのです。
そしてこれからまた迎える1年の無病息災を心より願います。


苦しみなどに心が支配されている時は、なかなかに時間が過ぎ去りません。気付けば時間は確かに過ぎているのですが、振り返って「はて、自分は何をしていたのだろ」などと思う事もあります。そんな弱い人間に、節目節目に、生かされている事を感じさせ、感謝する心を自然と湧きおこさせてくれる行事がある事はありがたい事です。
私はインドが好きで何度か訪れていますが、かの国を訪れて「人生観が変わった!」などという事はありません。あまりに違う国民性や文化や宗教心に驚きがあるから人生観が変わったと思うのかもしれませんし、それはそれはすごい体験をされて、人生観が変わった方もいらっしゃるのかもしれません。
ですが、日本にいても、生死について、宗教や信仰について、人生について考えていれば、あまりに違うインドに行ったとしても、衝撃のショックはさほど大きくはないのでは?!と思ったりもします。
「なんだかよくわからない」という方は、インドへ行かずとも、一度この地を訪れてみるのもありかもしれないなぁ…と思った次第です。
秋の志明院


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