本阿弥光悦という類まれなる才能を持った人に惹かれ、二十歳の頃から十数年……幾度となく通い続けているお寺、京都市北区の“光悦寺”です。
特別立派な伽藍があるわけでもないですし、何かを拝見しに…というわけでもないのですが、何故だかふと訪れたくなる事があり、気づけば十数年もたっています。
ぽつぽつと点在する茶室、いつも清らかな白い菊が生けられ独特の雰囲気を醸し出す光悦の墓、寺の最奥から眺める鷹峯、鷲峯、天ケ峯の鷹峯三山。季節ごとに美しい光悦垣。
それらをゆっくり見て回り、「あぁ、また来させていただきました。ありがとうございます。以前来た時から、またいろいろな事がありました」と、自分の事を振り返りつつ、腹の底から深呼吸するのです。
この場所を訪れ、「あぁ、あの時訪れた時は私はこんなだった」、「あの時訪れた時は私はこれを頑張っていた」など、こちらに訪れる事で過去の自分を振り返ります。
私の事なのですから、どこへゆこうと私の記憶の中ににあるはずですが、なぜか光悦寺に訪れて振り返ります。光悦寺がまるで自分の過去を知っているかのごとく。
私にとって、“心が帰る場所”の一つ、大切な場所です。