皇城鎮護の神として知られる京都随一の古社賀茂神社は、周知のように上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の二つの社からなる。
このように二つの社から構成される例は伊勢神宮の内宮・外宮をはじめとして日本の古社の中にはしばしば見られる。
ところで、古い文献には、上賀茂・下鴨のほかに「中賀茂」「賀茂中祠」という名称が現れる。賀茂神社はかつては上・中・下の三社体制であったことになるのである。
なお三社で構成される例も日本の古社ではそれほど珍しいものではない。
この中賀茂について『袖中抄』は上賀茂楼門前にある片岡社を、『菟芸泥赴』は府立植物園の中にある半木(なからぎ)社をあて、『山城名勝志』は社家の説として河合神社の末社である三井社とするなど諸説紛々としている。
これらのなかで注目すべきは『諸神記』の紹介する下鴨神社そのものとする説である。この場合は賀茂川と高野川の合流点付近に鎮座する河合社が下社だということになる。
『元享釈書』行円伝は、行願寺の縁起を述べる中で、いわゆる「カモ伝説」を記し、子神を上社の神、母神を中社の神として特記する一方、下社については何ら述べる所がない。このことからも、中賀茂がカモ信仰における主要な社だったことが推測され、現在の下鴨神社そのものであるとの説も一概に捨て去るわけにはいかない。これらの問題は『山城国風土記』逸文における三井社の比定とも深く関わり軽々に論することはできないが、中世に至っても賀茂神社の主要施設の名称に揺らぎがあった可能性があることは注目される。