日々の生活で出会った素晴らしい職人さんを、季刊『禅文化』にてご紹介しています。本ブログでもご紹介させていただきます。
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季刊『禅文化』213号より
“技を訪う―葛籠(つづら)” 川辺紀子(禅文化研究所所員)
マンションに葛籠
梅雨のある日、クローゼット奥にカビを見つけた。冬には、水が滴り落ちるほどの結露に恐れおののいた初めてのマンション暮らしだったが、「このままでは着物が危ない」と、着物の収納について真剣に考え始めた。そこでまず思いついたのが桐箪笥だった。箪笥屋のショールームに赴き、美しく象牙色に光るその姿にうっとりしたが、一人暮らしの狭いマンションのフローリングにも真っ白な壁にも似合わない。いやその前に誰がこの大金を出すのだ!と、その選択肢はすぐに消え去った。
そんなころ、雑誌で“京葛籠”を知った。塗りの上品な光り具合、家紋が入ると引き締まる全体の印象。たちまち心を奪われた。加えて、柿渋や自然素材を使うので、虫や湿気から着物を守り、機能性が抜群らしい。すぐに購入したいと思ったが、やはり写真で確認するだけではなく、実際にこの目で確かめなくてはと、直接訪ねてみた。それが、葛籠作りの全工程を手がける“渡辺商店”だった。
商店というからには、葛籠を並べて展示されているのかと思ったが、訪れた場所は職人の作業場そのものだった。私が質問する間、手を休めることなく、しかし丁寧に答えて下さるご主人の渡辺豪和さん。奥様と、跡を継がれるご子息も、黙々と作業を進められている。
さまざまなサイズの竹籠
オーダーするに当たっては、表面を柿渋で仕上げ、紋は黒という葛籠の渋さにかなり心引かれたが、これはまさに寺院か、朝鮮時代のサランバン(男性貴族の書斎)向き、黒色に朱で紋を入れるものは、蔵や日本家屋に置くとよさそうだが、私の部屋には重厚感がありすぎる。朱色に黒や金の紋だと、なんとも華やかでかわいいが、やはり好みと少しずれる。結局、品があって艶やかで、部屋のインテリアともマッチしそうなのが、溜塗に金で紋を入れる葛籠だった。帯も一緒に収納するため、中蓋が付いたものをお願いし、一月ほどで届けていただいた。それから既に四年間、部屋にもしっくり収まって、防虫香のお世話になることもなく、着物や帯を守り続けてくれている。
そこで、今一度渡辺商店を訪ねて、ご主人に葛籠作りについてお話を伺った
【葛籠作りの工程】
①採る―自然よりいただく―
真っ直ぐ天に向かって伸び、榊と並んで清浄な植物とされる竹(孟宗竹)を採り、寝かせておく。孟宗竹は四年を超えると根も張らなくなり、ひねていくため、だいたいは四年くらいのものを使う。
②剥ぐ―職人にとって一番の難所―
竹を一晩水につけた後、割ってから、へぎ包丁で薄さ一ミリまでに剥いでいく。寒暖の差が激しい京都で育った硬い竹を、薄く薄く剥いでいくのは非常に難しい作業。さらに、和紙を貼る時に糊の付きが良いように、剥いだ竹を平らに削ることも欠かせない。
③編む―長年使えるものを―
昔は網代編みであったが、現在では耐久性を考え四つ編みにしている。網代編みとは違い、剥いだ竹を熱で曲げて使うため、角や四方が強いという。また、後に貼る蚊帳や和紙と糊がよく粘着するように、少し隙間を残しつつ編んでいく。
④貼る―ここが肝心―
編み上がったものに、補強のために蚊帳を貼る。最近では麻や木綿素材の蚊帳が減っており入手困難であるが、渡辺さんの仕事がテレビ等で紹介されてから、是非蚊帳を使って欲しいとの申し出があり、届けてもらった蚊帳を大事に使っているとのこと。次に、タロイモを原料とし、さらに柿渋を混ぜた糊で美濃の和紙を貼る。この際には、ご主人自らが公案した“かき竹”でこするように貼り、和紙を密着させてゆく。編まれた竹と和紙とが密着し、ぴしっと引き締まった姿は既に非常に美しい。この時点で美しいからこそ、この後の工程が生きるのだろう。
年季の入った糊入れ
⑤塗る―命を吹き込む―
柿渋の下地を塗った後、カシューナッツの木の樹液を原料とするカシュー(昔はこれが漆であった)を塗る。さらに、客の好みや要望通りに文字や家紋が入れられ、乾燥を待つ。
古文書を貼り、柿渋で仕上げた葛篭 文字が透けて面白い
渡辺商店は、先代まで竹籠を作る下生地屋だった。葛籠は本来、下生地屋、張り屋、屋、文字(家紋)書き屋など、分業制をとっていた。昔なら、娘の嫁入りに親が持たせ、蔵の中の道具入れにも使われた。また、百貨店の配達では自転車の後ろに葛籠を載せて走ったり、呉服屋・悉皆屋でも反物を入れたりと、当たり前のように生活の中に存在したらしい。しかし、高度経済成長に伴い、新しいライフスタイルや新しい物が盛んに取り入れられるようになると、葛籠の注文は減ってゆく。同時に葛籠を作る工程を担う職人も一人、また一人といなくなり、新しい技術を独学で次々と修得した渡辺さんは、現在、日本で唯一、全工程を手がける葛籠職人となった。
伝統産業には、分業制によって成り立つものが多くある。職人の町京都で、幼い頃より下生地屋に奉公をしてきた職人気質の先代は、「下生地の仕事のみに徹底すべし。他の仕事に手を出すなどもってのほか!」と、当初強く反対されたという。一つの道をひたすらに歩き続けることこそ……という先代の強い意志にも心打たれるが、時代に合った選択をし、道を切り開いてゆかれた当代の歩みと挑戦があったからこそ、今でも私達はこの葛籠を手に入れることができるのである。「竹薮から消費者の手まで」をモットーに、全工程を手がける渡辺さんの実践は、実を結んでいると言える。先代は、亡くなる前になってやっと、「よくやった」と認められたという。
葛籠は、身近に置くものとして、材料が自然界からいただくものばかりであることに安堵感がある。ハウスダスト症候群の息子さんを持つお母さんが、試しにこの葛籠を子供部屋に置いた所、症状がなくなったという。また、自分が嫁入りの際に親に作ってもらったものを新たに塗り直し、孫の嫁入りに持たせたというおばあさん。使い捨てではなく、何代もにつながる逸品ともなり得る。また、たとえ捨てられたとしても、全て自然界に戻ってゆく素材である。今流行りのエコにぴったりのものとも言える。工夫次第で、見た目の美しさと機能性を存分に楽しめる先人の智恵の賜物である。
また、大量生産の規格商品ではない葛籠には、“自由さ”がある。渡辺さんは長年の職人の感覚で、綿密な設計図も無しに、様々な形・大きさの商品を生み出しておられる。東京に職人がいなくなってしまったことで注文が入るようになった明荷(十両以上の階級の力士のみが持つことを許される特別な葛籠)もその一つ。また、祇園祭の鉾の見送り(鉾の後ろに飾られるタペストリー)を巻いて保管しておく、非常に大きな、細長い竹籠のようなものもある。ある寺院の開山忌法要内祝いの手文庫は、箱の蓋裏にご住職による遠忌記念云々の文字が入り、特別なものに仕上がっている。奈良の修二会の際の道具等を入れる葛籠も渡辺さんの手によるものだ。
後継者のことを伺ってみた。雇用の不安定な昨今は、農業や林業が注目を浴びたりしているが、職人の世界はどうだろう。渡辺さんのところにも、子供を引き連れてやってきて、色々と条件をつけた上で、「息子に手に職を付けさせたいので置いて欲しい」などという親もあるらしい。また、芸術系の大学から講師として技を教えに来て欲しいという依頼もあるという。
私達は安易に、「職人が減り、日本の伝統の技も消えるかもしれない。それならばそういった分野に関心のある人や、ひとり黙々と作業に打ち込むことに適した人を集め、後継者を育ててはどうか」などと言ってのけるが、そういった素人考えは甘いようだ。渡辺さんは、生まれた時から、親が仕事をする場所で遊んだり、見たりすること、その環境そのものが大事なのだと言う。先代は、七~八歳で生地屋に奉公に出されたそうだ。師匠の一挙手一投足がそんな子どもに無言のうちに何かを伝えてゆく。伝統の徒弟の世界は、現代教育から見れば極めて効率が悪そうだが、実は一番確かな教育のありかたかもしれないと思った。
百年以上前の葛籠
-渡辺商店-
京都市東山区東大路五条下る東入る 電話075-551-0044
注文・相談は電話にて 参考・呉服用葛籠五万五千円~
215号の記事はこちら(仏具木地師 加計穣一)