ユダヤ人作家、エリ・ヴィーゼルの『夜』に出会ったときの衝撃は忘れがたい。
『夜』は、第二次大戦中、自らが移送されたアウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ)の証言記録である。高い文学性を備えた本書はすでにホロコースト文学の古典となっているが、証言の不可能を突き破った語りは、読者を否応なく出来事の「当事者」にする。証言を受け取らないという道が絶たれているからである。
解放後、ヴィーゼルは、このホロコーストという「出来事」についてはけっして語らないと心に誓っていた。そのヴィーゼルに書き記すことを促し、翻意させたのは、敬虔なキリスト教徒でありすでに著名な文学者であったフランソワ・モーリアックである。
ヴィーゼルのエッセイには二人の最初の出会いが極めて美しく記されている。
敬虔なキリスト教徒であったモーリアックは、ヴィーゼルに、彼の信仰上の根本命題である、神の一人子イエスについて、その偉大さ、神性、十字架上の死について語る。しかし、それがヴィーゼルを激しく傷つける。2千年も前の一人のユダヤ人の死が、十年ほど前の六百万人のユダヤ人の死よりもかくも重いものであろうか、と。ホロコーストはキリスト教圏で起きている。ヴィーゼルが、作品を通じてはっきりと言明しているように、大量虐殺はキリスト教の背景を抜きにしては考えられない。しかしヴィーゼルの怒りに対するモーリアックの態度は、 ヴィーゼルを狼狽させるほどに真率なものであった。彼は、「唇に微笑をたたえたまま、 涙をぬぐいもせずに」ヴィーゼルの言うことに耳を傾けたのである。モーリアックは、 戦前から反ファシズムの論陣を張り、 第二次世界大戦中は、 レジスタンスに参加していた。このことをヴィーゼルは十分承知していたが、 何よりもヴィーゼルを突き動かしたのは、この老作家の率直さといさぎよさだった。老作家はエレヴェーターまでヴィーゼルを見送りにきて、彼を抱き締めたあと言う、「このことを話さないのは間違っている。話すべきです、それでも話すべきです」。
真の「霊性」の出会いとはこのことか。ヴィーゼルはこれを契機に語り始める。
やがて証言は、時空を経て私のもとに届く。モーリアックとヴィーゼルの出会いが私において成就するのはまさにこの時なのであろう。